黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

十月大歌舞伎夜の部(歌舞伎座)

 

十八世中村勘三郎の、もう七回忌になるのかという追善興行である。当月夜の部は勘九郎・七之助を中心に、個人とゆかりのある仁左衛門・玉三郎らが顔をそろえる。

 

『吉野山』は勘九郎の忠信に玉三郎の静御前。

玉三郎は花道の出からすでに踊ることをひたすら拒んでいるように見える。つめたく見えることもある玉三郎の静だが、きまるようできまらず、踊るようで踊らないそのさまが、今月はなんともいえぬ柔らかさを感じさせる。

勘九郎は亡父・十八代目勘三郎よりも筋肉質で硬派な身体と芸風をもっている役者である。「親父そっくり」というのは歌舞伎の世界では褒め言葉ではあるが、同時にそれが逆に子の芸の成長を阻む面もある。勘九郎は自身の輪郭のはっきりした自身の本来の芸風に、以前より意識的になっているのかもしれない。今月の忠信には、スッポンからの登場、「陸には白旗」に続く戦物語など、それが生かされていて目をひく。ただ真面目なせいかやや直線的で、狐の化身という境界に生きる存在の怪しさがそこに加わるのはこれからだ。

早見藤太は巳之助。ぐっと腰が落ちて安定した形を見せる。笑いを取りにいかない正攻法のいきかたで好感が持てる。

 

『助六曲輪初花桜』は仁左衛門の助六。当代仁左衛門が初めて助六を演じたのはまだ孝夫を名乗っていた一九八三年三月で、父十三代目仁左衛門の意休、玉三郎の揚巻であった。自身の十五代目仁左衛門襲名披露興行の演目の一つでもあり、その後も二〇〇九年に南座でかけて以来十年ぶり七回目の助六。数年にいちどは上演される本家本元の市川團十郎・海老蔵のそれを別にすれば、圧倒的な上演回数を誇るまぎれもない今日の助六役者。助六はその正体が曽我五郎であることからもわかるとおり骨太な荒々しさをもつが、同時に得も云われぬ色気とやわらかさを備えた天下の二枚目であることも求められる。この「柔」と「剛」の絶妙な役の二面性は、そのまま片岡仁左衛門という役者の特徴でもある。

襲名時から二十年、肉体的な衰えはいたしかたないが、それを補ってあまりある仁左衛門らしい影のある独特の色気が第一。名乗りの云い立ては、口跡のよさゆえに爽快。このひとらしくあくまでリアルに芝居として科白を組み立てていくやり方が、おおらかな古劇である『助六』という演目にあっているかどうかは別として、市川家とはまた別の芝居として成立させている。

七之助は玉三郎の次の世代では群を抜いてうまい女形だが、さすがに揚巻は勝手が違う。技術だけではなんともならない役の格といえばそれまでだが、たとえば前半の意休とのやりとりなどでもアプローチがずれているように見える。ここでは揚巻も意休も、別に本気でいい争いをしているわけではない。ほろ酔い気分の酔い覚まし、廓の雰囲気のなかでのおとなのコトバのいわば遊戯である。「意休さん、もうお前には会わぬぞえ」が本気に聞こえてはならないのである。六代目歌右衛門と十三代目仁左衛門、近年では玉三郎と左團次といったこれまでの揚巻と意休がつかのまつくりだしてきた廓のファンタジー。それがなければ吉原の夜は芝居にならないだろう。その美しい容姿や声、芝居のうまさから考えても、揚巻は間違いなく七之助のやるべき役になっていく。これからどのように役をものにしていくのか興味がつきない。

歌六の意休はさきにのべたように、七之助と同じく遊びを知る大人としての余裕が希薄だが、科白の明晰なこと、終盤に助六を諭す場面での説得力はさすが。

白酒売りは勘九郎。この役に必要なやわらかさをたたえながら、亡父ゆずりの科白の技術で笑いをしっかりとっている。このひとは本来の素質からいえば助六をやるべきひとなので、近い将来兄弟そろっての『助六』を見せたい。

くゎんぺら門兵衛に又五郎、朝顔仙平に巳之助、満江に玉三郎、白玉に児太郎と、すこしづつ世代交代を感じさせながら豪華な配役を得て、あっというまの二時間であった。

 

 

 

 

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