黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

梅若会定式能『船弁慶』(梅若能楽会館)

 

新年最初の観能は一月五日梅若会定式能での『船弁慶』(小書「重キ前後之替」)。

シテは山中迓晶。もともと細部にいたるまで丁寧な美意識が貫徹するこのひとらしい、美しさに満ちた芸を堪能した。

 

前シテの静は橋懸りの出こそかたく感じられたが、「そのとき静は立ちあがり」からぐっとよくなり、烏帽子をかぶってのクセ、舞(小書きによって序の舞になる)と、なにかぼうっとした仄かな光を纏ったかのような姿に息を呑む。これほどまでにコトバも所作も美しくシームレスな静はなかなか観られない。このひとの『井筒』をぜひ観たいと思わせた。

狂言方は野村萬斎。いったん揚幕に入るやいなや(ものの三秒か四秒)頭巾と袴の拵えを替えて再び登場する、和泉流ならではの早変わりをみせる。船漕ぎのシャープさはこのひとならではのもの。

後シテの平知盛の霊(装束がまた黒基調で素敵なもの)は、静とはうってかわって徹底的に「動」のなかにきまるカドカドの美。その卓越した身体能力に圧倒される。揚幕を半幕にしての「そもそもこれは桓武天皇九代の後胤」の声が響く不気味さ、橋懸りから薙刀の柄を突き出してきまるイキ、小柄なはずのシテの身体が大きく見えるのが不思議である。独特の流れ足の往き来にも身体はまったくぶれることなく、海面を霊が漂うというこの特殊な型の本来の意味を可視化する。トメは揚幕前で。

子方の山中つきのの凛とした美しさ、近づく知盛に向かい刀に手をかけぐっと見込むかたちの良さも特筆。

囃子方が全体に素晴らしい演奏を聞かせて盛りあげるが、なかでも曽和正博の小鼓の深く柔らかい音色がまた別格。

 


f:id:kuroirokuro:20190106221128j:image