黒井緑朗のひとりがたり

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海老蔵の市川團十郎襲名が決定

 

十一代目市川海老蔵が、来年(二〇二〇年)の五月に市川團十郎の大名跡を十三代目として襲名することが発表された。成田屋の嫡男としては、いずれはそうなるであろうことは明らかであったにせよ、正式に発表され喜ばしいことこのうえない。

 

歌舞伎の世界に存在する名跡のうち、これはという大名跡はいくつかあるが、なかでも江戸歌舞伎の宗家、成田屋の市川團十郎の名前は特別なものだ。現・海老蔵がその名前に値するだけの実力を備えているかということはしばしばファンのあいだでも議論になる。もちろん、古典的な義太夫狂言において、伝統とは違うやりかたがうまくいかないことや、癖のあるセリフまわしがリアルな世話物で違和感を生むことも少なくない。

しかし、彼の独特な感覚はそれらの演目が今後生き残っていくための可能性を感じさせるし、なによりもお家芸である荒事芸に関しては、誰の追随も許さない境地に達している。歌舞伎十八番のいくつかの演目を含む通し狂言『鳴神不動北山桜』を独自のかたちで復活させ再演を重ねるなど、埋もれた家の芸を現代のエンターテイメントとして蘇らせた功績は、成田屋の当主として見事にその責をはたしていると云えるだろう。

 

平成が終わろうとしている現在、歌舞伎をささえる幹部役者としては、坂田藤十郎は別格として、尾上菊五郎、中村吉右衛門、片岡仁左衛門、坂東玉三郎の人間国宝に松本白鸚をくわえた五人があげられることは論を待たない。いずれも座頭としてひと月の興行の責任を持てる看板である。しかし海老蔵はこれらの幹部よりぐっと世代をへだてながら、何年も前から彼らと同じ、いやそれ以上の集客が可能な大看板として活躍している。歌舞伎役者の大名跡を襲うためには、その名にふさわしい実力が求められることはもちろんだが、それ以上に公演の顔としてどれだけ集客できるかということが大きい。それは伝統芸能でありながら、公的な補助金に頼ることなく商業演劇として公演をかさねるためには重要な要素だが、海老蔵は誰よりもそのハードルはクリアしている。

一月の新橋演舞場や七月の歌舞伎座での座頭公演は定着して久しいし、歌舞伎以外のジャンルとのコラボレーションによる実験的な自主公演も、毎年数多く行っておりいずれもチケットは早々に売り切れてしまう。

その人気を背景に、興行形態の変革にも取り組んでいる。歌舞伎座のひと月にわたる公演は二十五日間休みなく昼夜別プログラムが行われているが、ミュージカルや商業演劇ではあたりまえになっている「休演日」を数年前にそこに設けたことなどは画期的であった。出演者の負担軽減につながる実験的なそれは、その後もみずからの座頭公演などで取り入れている。今回の襲名披露興行でも、地方都市での公演は昼夜二部制の二十五日間興行ではなく、一日三部制の十五日間興行になるようである。興行収入減収にもつながるそれらの試みを松竹に呑ませることができるのも、ひとえに海老蔵の前代未聞の集客力によるものだ。

 

良いことばかりではない。海老蔵は幹部クラスの長老役者や、次世代の中心になるであろう役者たちとの共演が極端に少ない。自由に自分のおもいのままに公演をプロデュースしたいという海老蔵の意思なのか、それとも他の看板役者と組み合わせずとも単独で集客できる海老蔵という商品を十二分に活用したい松竹の思惑なのか、それはわからない。しかし、海老蔵が大看板たる役者たちと古典的な歌舞伎でじっくりと共演する機会は、毎年五月の歌舞伎座(「團菊祭」と銘打って興業が行われる)くらいしかないのは事実だ。

歌舞伎の演目の多くは、立役、立女形を核として、二枚目、道化役、老役などといった役柄のアンサンブルでなりたっている。当然のことながらその上演には、それぞれの役柄にあったいわば専門職たちが不可欠だし、名もなき脇役を演じる役者や、群衆や家来を演じアクロバティックな立廻りを披露する名題下の多くの役者が必要なものもある。尾上菊五郎のひきいるいわゆる菊五郎劇団や、中村吉右衛門を頭にいただく一座などは、それらをすべて揃えているからこそ安定して質の高い上演ができるのであるが、海老蔵はそこまでの一座を持っているわけではない。他の一座との共演がなければ、丸本物や世話物の古典的名作の重要な役を演じる経験がなかなか得られない。

 ときには口煩いくらい古き伝統を教えてくれる諸先輩との共演も、次の時代の歌舞伎をともにつくりあげていく同世代の仲間との共演も、個人芸でありながらやはりアンサンブルである歌舞伎には本来欠かせないはずだ。

 

三ヶ月にわたる東京での公演に続いて、ほぼ一年半あまり全国をまわる襲名公演。そのあいだは、大幹部とも同世代の脂の乗った役者とも豪華な共演が続く。その伝統というアンサンブルのなかに否応なく身を置き続けるこの期間が、いまの海老蔵をおおいに成長させることだろう。そして襲名公演がひととおり終わった頃、類まれなる才能に恵まれたひとりの役者が、十三代目市川團十郎として名実ともに平成の次なる時代の歌舞伎の中心にあることを目にすることができるだろう。