黒井緑朗のひとりがたり

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『愛と哀しみのシャーロック・ホームズ』(世田谷パブリックシアター)

コナン・ドイルが生みだした世界でもっとも有名な探偵であるシャーロック・ホームズは、ドイルの残したいわゆる「聖典」とよばれるオリジナル作品のほかにも、数多くの贋作やパロディ、パスティーシュがつくられてきた。この『愛と哀しみのシャーロック・ホームズ』も、ホームズとその盟友ジョン・ワトソン博士が出会ってから、ふたりが取り組んだ最初の事件である『緋色の研究』がおこる前までのものがたりを、三谷幸喜が書き下ろしたものである。

伏線をはるかとおくまで張り巡らし、それをあっと驚くタイミングで回収していく三谷幸喜の劇作スタイルは、まさにミステリ仕立ての作品にふさわしいもので、それがいかんなく発揮された第一級のエンターテインメントであった。

かの時代のロンドンを思わせるレンガ模様の緞帳に、サイレント映画を思わせる字幕が浮かびあがる。作曲も担当した荻野清子が下手前方にすえられたアップライトピアノ(わざと調律を狂わせている)を演奏。レトロな雰囲気に劇場全体が支配されているのが面白い。

 

(以下、ネタバレを含む)

 

オリジナルのキャラクター設定の隙間を縫うように、ワトソン博士の年齢がホームズよりもかなり離れていること、彼にはホームズと出会う前から妻がいたことなど、それだけでも観るものの意表をつく。しかしそれだけではなく、ワトソンがのちに『四つの署名』で出会ったメアリー・モースタンと結婚することを「知っている」わたしたちにとっては、そのオプションの設定そのものが、これから繰り広げられるドラマでなにかしらの重要な意味を持つことをも暗示している。(ほかにもホームズ作品を周知しているものならではのパロディがいたるところにちりばめられていた)

レストレード警部が冒頭から繰り返し取り組むことになる「正直者と嘘つき」のクイズが、この作品全体の結構を象徴している。誰が嘘をついているのか。なにかが「語られ」ている、いやもしかしたら「騙られ」ているのではないか。それはわたしたち観るものにつきつけられるサスペンス(宙吊りされたもの)であり、そこから絶妙なタイミングで見事に笑いが生まれる。

第一幕も、第二幕も、それぞれいくつかの「推理ゲーム」がはめ込まれ、観客はそれをともに楽しみながら舞台を追っていくが、圧巻なのは、ホームズが兄マイクロフトからの独立をかけて挑む「ランタン」とよばれるカードゲーム。プレイヤーはそれぞれ配られたカードを自分の額の前に掲げて明示する。自分以外のプレイヤーのカードは見ればわかるが、自分のカードは見ることができない。それぞれいちどほかのプレイヤーに質問する権利をあたえられ、質問されたプレイヤーは答えなければならない(ただし正直に答える必要はなく、ここに「正直者と嘘つき」の変奏があらわれている)。そこから推論により、自分のカードと相手のカードのどちらが強いかを競うというゲームだ。

結局はホームズはこのゲームに勝つのだが、しかし、兄は弟とおなじように(推論の方法は違うかもしれないが)自分のカードがなんであるかという答えに到達していたにもかかわらず(すなわちシャーロックに負けることを認識していたのにもかかわらず)、なぜ勝負を「降りる」ことをしなかったのかというところがひっかかる。結局はマイクロフトの書いた筋書きに、シャーロックが最後までのせられていたということかもしれない。

最後にこのものがたりの「本当の」事件があきらかになる。じつはワトソンの妻は浮気をしていて、その夫婦関係はもはや修復できないまでになっている。自殺をしてそれを妻の殺人だとみせかけることで復讐しようとしたワトソンの計画を、ホームズは最後にあばく。「ワトソンには結婚歴があった」説の、三谷幸喜流のあざやかな解きほぐしだが、このラストシーンにおける演出には疑問がのこる。

ワトソンの「犯罪」を未然に防いだホームズは「唯一の心許せる友人を失いたくたい」と、こともあろうか泣きながら訴えるのである。それがホームズの「語り」が「騙り」ではないことは前後関係から明白なので、これはホームズの本心なのだろう。この涙を見せる姿は、わたしたちが知るクールなホームズ像とは重ならない。もちろんこの三谷版ホームズは、コナン・ドイルのオリジナルなホームズとはことなっていてかまわない。しかし、このあとグレグスン警部からの電報で『緋色の研究』の事件現場へでかけて行くことで幕を閉じることになるのだ。三谷幸喜のコメディは、予想もつかない状態になったものが、本来あるべき状況へ収束していくという定石をもつ。わたしたちが知らない「空白期間」のホームズが、誰もが知るホームズの世界へ接続されていくカタルシス。そのためには、この終盤の重要なシーンでホームズは泣くべきではなかったのではないか。すくなくとも、後ろをむいてそれを見せるべきではなかったのではないか。

 

ホームズ役の柿澤勇人は若き天才の不安定な人間をうまく演じているが、オフマイクの舞台ではいささか声が通らず残念。ワトスン役の佐藤二朗は三谷作品のイキをつかんでいてよいテンポ感。八木亜希子の舞台映えする演技とセリフ、横田栄司の押し出しのいい存在感。なかでも迫田孝也のツボをおさえた芝居が舞台をしめている。

 

 

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