黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

国立能楽堂『卒都婆小町』(国立能楽堂)

 

梅若実のシテで『卒都婆小町』を観る。

 

いわゆる老女物といわれるもののなかでも『卒都婆小町』は哲学的な重厚さのみならず、音楽的、演劇的な変化に富んだドラマティックな一曲。僧をも感服させるほどの仏教的教理につうじていながら、なおも深草少将の霊に取り憑かれる老いた小野小町。その矛盾にみちた複雑な人物をどのように見せるかという、古典劇的な枠におさまらない重層さもみどころである。

 

梅若実はこの翌月にも京都で同曲を舞うが、そちらが「一度之次第」の小書つきであるのにたいし、この日は小書なしの本来のかたちでの上演。観世流ではおおくの演者が採用する小書「一度之次第」は、ワキの登場にさきだってシテが本舞台に姿を現し卒都婆(卒塔婆)に腰を下ろしているというやりかた。このほうがその場にワキの僧が通りかかるという演劇的な自然さがあり、どうじに小野小町の孤独感も強調され、きわめて優れた演出である。しかしこの日の上演は、小書のない本来のかたちならではの面白さを感じさせるものであった。それはワキという存在がもつ「視点」の役割をあらためて思い出させるからである。

いわゆる夢幻能において、シテの存在はワキの眼(厳密に言えばワキの意識)をとおして現前するものだ。わたしたちはこのワキの眼に自分のそれを重ねあわせてシテを見る。言うまでもなく『卒都婆小町』は現在能であり夢幻能ではないが、オリジナルどおりにワキがさきに出た場合、わたしたちは着座している僧の「視点」から小野小町の出を見ているとも言える。小野小町は「見られるもの」であり、僧は「見るもの」である。その関係があきらかであるからこそ、わたしたちは「他者」としての小野小町にいっそうの寂寥と孤独を感じる。「見られるもの」が見られていることを意識しないでそこに佇むこと。「習之次第」にあわせて橋懸をゆっくりと歩み進み、三ノ松で両の手を重ねあわせ佇む実の姿には、見るものの共感を拒絶するかのような独我さがあった。

 

「身は浮草を誘う水」は常座へ出てから謡う。足のはこびや立ち居にはやや不安定さを感じさせるのはしかたがないが、いったん立ち止まってからの無類の安定感はさすが。そしてなんと言っても梅若実ならではの声の魅力を最大限に生かした演じ分けが見事である。ワキとの問答はグッとおさえた声で老人特有の嫌味さえそこに感じさせた。そしてこの老女の声が一変するのは、僧に名を問われ答える場面。「小野小町がなれる果てにてさむらふなり」の複雑で繊細なニュアンスに込められた「傷わし」さが耳に残る。老女が名乗るそのときこそ、「見られるもの」がみずからが見られていることに気がつく瞬間だ。かつておおくの男たちに「見られる」存在であった小野小町という存在が、久方ぶりに現前するのである。

「雨の夜も風の夜も、木の葉のしぐれ雪深し」でわずかにかがんだ耐え忍ぶ姿。「あら苦し目眩や」と胸に手を当てての絶唱。地謡の「これにつけても後の世を」でゆっくりと橋懸へ行き「花を仏に手向けつつ」は三ノ松で正面を向き左手を掲げる。そのまま「悟りの道に入らうよ」で揚幕へ向きなおり、地謡が終わったあとも引き伸ばされた笛の音(そしてコツコツという杖をつく音も)とともに、素敵な余韻を残して消えるように揚幕へ入っていった。

 

実の素晴らしい声にこたえるように、渋く重い音色で見事なアンサンブルを聞かせる杉市和の笛、曽和正博の小鼓、山本哲也の大鼓。片山九郎右衛門はじめとする地謡。迫真の問答をつくりあげたワキは宝生欣哉、大日方寛。音楽的な魅力にあふれた、見応え聞き応えのある『卒都婆小町』であった。

 

 

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