黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

十二月大歌舞伎第二部(歌舞伎座)

 

新型コロナウイルスに翻弄された今年ものこるところひと月。師走の歌舞伎座も再開以来の四部制である。その第二部をまずは観る。

 

『心中月夜星野屋』は二年前の納涼歌舞伎に初演された新作歌舞伎。昨年は金丸座で、そして今年は歌舞伎座でと、新作としては異例なペースで再演をかさねている。ひとつには今年度はじっくり稽古して新しい作品に挑むことが許されないため、出演者も少なくすでにできあがっているコンテンツを、ということもあるだろう。またどうじに、この『星野屋』を歌舞伎のあたらしいレパートリーとして定着させようという、作り手の意志も感じられる。

 

一昨年の初演のときも、そのシンプルで効果的な構成のよさは際立っており、誰でも理屈抜きで楽しめる上質な喜劇だった。半面、あまりに歌舞伎ファンや内輪向けのパロディに頼る場面もおおく、それが奇妙に浮いてしまうというところも気になっていた。⇒(黒井緑朗のひとりがたり「八月納涼歌舞伎第一部」)

その問題点は、残念ながらあまり解決されてはいないようだ。星野屋の主人(市川中車)が「芝居好き」であるという設定であるゆえの趣向は、うまく生かされているというよりも、その「芝居ごっこ」をしている部分と素の芝居の部分がやはりうまく切り替わっておらず「またそのパターンか」という停滞感。中車くらい芝居ができる役者であれば、もっとうまくやれたのではないか。その点、おたか役の中村七之助は技術でうまく見せている。

また、ますます入れ事(アドリブ)めいたセリフや演出が増え、せっかく作品としてもっていたまとまりが薄れている。お熊を演じる市川猿弥はウデもセンスもある役者なので、それを奇跡的なテンポ感のなかで違和感なく見せることに成功し、それは観客にうけて爆笑を生んではいるのだが。こうなると再演をかさねてレパートリーに、という方向とはいささか趣がことなってくる。

 

前回はほかの演目と組み合わされていたが、今年はコロナ対策ということでこれのみの単独上演。そうなると、これだけのために歌舞伎座に足を運んだのかという思いがこみあげ、いささかさびしくなったのも事実。芸達者があつまったのだから、もっと見応えある再演ができたのではないか。

こういうドタバタな喜劇こそ、楽屋落ちや時事ネタだけではなく、セリフのテンポの良い応酬とセンス良い「間」でつくっていけばほんとうに面白いものができるはず。それこそ原作でもある落語が可能にしている世界である。

 

 

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