市川海老蔵を中心とした座組が定着するようになった7月の歌舞伎座だが、長らくそこを指定席としていた三代目市川猿之助(現・猿翁)時代の伝統を引き継ぐかのように、海老蔵もまた創意ある演出による復活狂言や、エンターテインメント性の強い舞台を上演し続けている。
『源氏物語』は祖父十一代目團十郎、父十二代目團十郎も、それぞれの時代にふさわしい台本と演出を得て上演した、いわば市川家の家の芸といった感がある。海老蔵もまだ新之助を名乗っていた2001年の5月に瀬戸内寂聴版『源氏物語』として初演したのをはじめとして、これまでに様々なヴァージョンを上演してきた。
今回はこの数年海老蔵が実験的に行ってきた能楽師やバロック音楽の声楽家との共演などの要素も盛り込んで、まったく新しいヴァージョンを満を持して歌舞伎座にかけた。台本は今井豊茂、演出・振付は藤間勘十郎。これが実りある歴史的な舞台となった。
演出の面では藤間勘十郎のきわめて優れたセンスが細部に至るまで行き届いており、道具、照明(プロジェクションマッピングを含め)、衣装などすきのない統一感がある。また全体の構成も、原作からどの場面を選択するかという潔さ、それをイメージでつないでいく手際のシンプルさ、という点において秀逸だ。
舞台があくと、花道での紫式部(市村萬次郎)のひとりがたりに続いて、闇の精霊(アンソニー・ロス・コスタンツィオ)のカウンターテナーによる歌唱がはじまる。闇の精霊に対するものとして光の精霊(ザッカリー・ワイルダー)のテノールがいるのだが、このハイレヴェルな二人の声楽家の歌唱が重要な二つの効果を与えている。まず一つは、この舞台が光源氏の「光」の側面と「闇」の側面との葛藤を描いているという枠組みが明確に示されること。もう一つは、そのあまりに自然に舞台に溶け込んでいる声楽家の歌を聴いているだけで、「これは歌舞伎ではない」という意識を観るものに自ずといだかせること。特にこの後者の効果は大きく、本来ならば霊など異界のものしか使わないはずの「すっぽん」からいろいろな人物が出入りしても違和感を感じなくなる。二人の歌のおかげで、歌舞伎における「お約束事」という縛りがいとも容易に解除されているからである。これは二人の歌唱力ももちろんだが、指揮者として(おそらく音楽監督的な立場としても)関わっている弥勒忠史の力が大きいと思われた。
片山九郎右衛門、梅若紀彰、観世喜正といった三人の実力者を揃えた能楽陣もこれまた見事に舞台にはまっている。特にこの日に桐壺帝をつとめた川口晃平はそのたたずまい、鳴り響く美声によって圧倒的な存在感である。
プロジェクションマッピングによって彩られた歌舞伎座の空間に、これら他ジャンルの要素がなんの違和感もなく溶け合って、歌舞伎でも能でもオペラでもない、一つの幻想的な演劇的シーンを作り出しているという意味でまずは大成功である。いま芸も充実している海老蔵でしかなし得なかった成果だろう。
いくつか問題点もあった。
まず、構成・演出の匠さに引き換えて、地の部分つまり科白(セリフ)のシーンがことごとく低調なこと。単調な科白のやりとりに終始し奥行きが感じられない。これは台本に起因する問題で、ここまであまりに表面的でなんの含意もない科白では、科白の裏にハラを効かせる歌舞伎役者本来の芸はまったく生かされない。科白の場面で唯一引き込まれたのは、雀右衛門演じた六条御息所が葵の上の懐妊を聞いて思い入れをするところだが、皮肉なことにそのとき六条御息所に科白はない。
弥勒忠史ひきいるバロックアンサンブルが高い成果をあげていることはすでに述べた。王朝物とも云うべき平安時代の雅な世界と、西洋の宮廷文化を思わせるクラシック「以前」の音楽は驚くほどマッチしている。しかしそれだからこそ、いくたびか挿入される長唄や三味線の音楽に残念なほど違和感を感じた。ふだんわたしたちが『菅原伝授手習鑑』のような平安時代の王朝物を観ているときには感じないのにもかかわらずである。『菅原』などでは衣装や様式なども平安時代のそれと江戸時代のそれが(冷静に考えれば奇妙なほど)混在しているため、音楽だけが浮くことはない。しかしここまで歌舞伎のお約束事を排し統一された舞台では、かえって「歌舞伎的なもの」が押し出されてしまう。長唄三味線が江戸以降の「ある時代」の匂いをこれほどまでにまとい、それが「歌舞伎的なもの」を形づくっているのだということを、あらためて思い知らされる結果となった。(歌舞伎的にはお約束の大団円のフィナーレがいささか蛇足に感じられるのも同じ理由である)
今回の舞台でもっとも興味深かったのは、序幕のキリである。六条御息所の生霊が葵の上を呪い殺しにやってくる原作でも有名な場面。雀右衛門の御息所とともに観世喜正の「前シテ」、片山九郎右衛門の「後シテ」が三者そろって葵の上に襲いかかるという面白いアイディアだが、雀右衛門にくらべて二人の能楽陣がいささか表面的にうつる。なぜだろうか。ここに能と歌舞伎それぞれの根本的な表現方法の違いがある。
能でシテが演じているとき、わたしたちはもちろんその目の前のシテを見ている。しかし、そのシテの身体そのものを演じている人物(たとえば六条御息所)と思って見ているわけではない。わたしたちはシテの身体を通して、その向こう側に決して目には見えない人物を見ているのである。その想像力が「あちらの世界」とつながるところに能の表現が成り立っている。これに対して歌舞伎の場合は、その人物を演じている役者の身体そのものをわたしたちは見ている。もちろんその背後に様々に付随するイメージを見ることがあっても、基本的には「演じている役者=演じられている役」なのだ。(そして市川海老蔵という役者は自分そのものを見せるということにおいてこんにち比類なき才能の持ち主である)
問題のシーンで、雀右衛門は歌舞伎役者として御息所を演じている。その後について登場する二人の能楽師はそれぞれ御息所の内なる魂の象徴(生霊)になる。(もともと御息所は自分の生霊が葵の上を襲っていることにはその時点で無自覚なはずだが、これでは意思を持って自分の生霊をあやつって襲わせているように見えるのではないか、という問題点はまた別の話)その段階で二人の能楽師は、目には見えない人物を見せるための媒介であることをやめて、観客が想像するはずであった見えない人物そのものを演じることになってしまう。そのため二人の能楽師はその向こうになにも示すことが出来ない、空っぽな存在として舞わざるを得ない。面白いアイディアであったはずのこの二重(三重)構造が、かえって能楽が本来持っている想像力による奥行きを失わせる結果になった。この興味深い事象はまたあらためて考えてみたい。
文楽の大夫が歌舞伎座で生身の役者と共演しただけで「事件」になった時代があった。それもいまでは珍しくないまでにはなったが、能楽の世界などはいまでも様々なしきたりがあり、自由な表現やコラボレーションを難しくしているようだ。伝統芸能各分野の当主クラスのメンバーがここまでタブーを破ってともに作り上げたプロジェクト。もちろんその舞台そのものも高い水準をクリアした素晴らしいものだったが、それ以上にここまでの共演が実現したという事実そのものが前例となって、これから多くの試みを可能にさせるという大きな価値がある。はじめに歴史的な舞台となったと書いたのは、そういう意味である。