黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

十二月大歌舞伎夜の部(歌舞伎座)

 

夜の部はなんといっても坂東玉三郎から若手女形へ『阿古屋』が受け継がれるということが注目の舞台。二十五日興業のうち、十四日間は玉三郎自身が、残りは中村梅枝と中村児太郎が交代で阿古屋をつとめるという変則で、いわば公開の場での芸の継承である。

 

その『阿古屋』は玉三郎がつとめる日を見る。

玉三郎の演奏する三曲はあいかわらず上手いと云えば上手いが、あえて云えばそつがなく、長唄の名手勝四郎を横においてはその歌ものっぺり単調に聞こえる。三曲の演奏が見どころのように云われる『阿古屋』だが、危なげなく演奏すればするほど、本当にそうだろうかと考えさせられる。それでも胡弓の演奏は見事な「芸」になっており、高音のひとり弾きで次元の違う宇宙を一瞬垣間みせるのはさすがとしか云いようがない。

今回の玉三郎の圧巻なのは、三曲の演奏よりも、その合間である。琴を弾き終えたあと語られる、景清との馴れ初めのふわりとした色気。また三味線を引き終えたあとの、牢の格子を隔てて別れの切なさ。まだまだ若手には譲れない立女形としての格の違いを見せられたようであった。

この一幕で玉三郎以上に素晴らしいのが彦三郎の重忠である。もともと柄にも声にも恵まれた素晴らしい役者だが、重忠という大役への抜擢に見事に応える名演。とくに、高い甲(かん)の声にこれまで以上に伸びがあり、その美声が余すところなく生きた。たんに声が良いということにとどまらず、セリフが立体的なのでそのコトバも含意も明確。情けあり毅然とした格もある上出来。幕切れの柝の頭を取らせるにふさわしい、見事な捌き役であった。

松緑の人形振り(人形振りらしいぎこちなさの面白さにはいささか欠けるが)による岩永も楷書できっちりと演じられ好印象。

 

『あんまと泥棒』は松緑と中車。他愛のない喜劇だが、二人ともテンポの良いセリフのやり取りに終始し、落語にも通じる軽さを出して成功している。秀の市の性根が幕開きで完全に明かされている以上、人の良い泥棒が間抜けにも秀の市に騙されていくその過程が見せ場となるわけだが、権太郎を演じる松緑が上手く演じている。

この演目の戯曲的な欠点は、権太郎が金を置いて帰ってしまったあと、秀の市が床下の金を引っ張り出して金勘定するところ。前述のように本性がはじめから観客にばれている以上、このラストシーンはどうしても蛇足にしかならない。ここをもうひとつ盛り上げるには、金に取り憑かれた秀の市のコミカルかつグロテスクな人物がより際立たねば難しいだろうが、その高いハードルを超えるためにはは演じ手の工夫だけではなく、また別の演出があってもよいはずだ。

 

『二人藤娘』を踊るのは梅枝と児太郎。ぐっと腰を落として安定した梅枝の美しい踊りと、可憐な娘を見せる児太郎のそれと、並んだことで見えるふたりの芸室の違いが面白い。

暗闇から圧倒的な美声を聴かせる勝四郎をはじめ、心地よい長唄三味線の音楽。つねの『藤娘』とことなり舞台いっぱいに枝をはった古風な松と藤の花の大通具が、ひろすぎる歌舞伎座の舞台をバランス良く埋めている。

 

 

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