黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

十月大歌舞伎第二部(歌舞伎座)

 

四部制で再開して三ヶ月目の歌舞伎座。その第二部を観る。

 

『双蝶々曲輪日記』のうちでも屈指の名場面である「引窓」が先月上演されたのにつづき、今月は松本白鸚、松本幸四郎で「角力場」が出る。演劇的なドラマというよりも相撲取りの意地と格を見せるこの場は、どうじに役者の芸くらべを見る場であるとも言える。

 

白鸚が濡髪長五郎を演じるのは国立劇場で『双蝶々曲輪日記』が上演されて以来じつに六年ぶりか。相撲小屋からあらわした姿は立派で、「さすが関取とひと際目立つ男振り」である。正月以来九ヵ月ぶりの舞台というブランクを感じさせない声が歌舞伎座の空間いっぱいにひびきわたる。

ただその立派な声にもかかわらず、いささか芝居のツボがずれているようにも思われた。長吉とのやりとりの前半は、きわめて冷静に筋をとおしての頼み事。自分の旦那である山崎屋与五郎のために、「其所が男同士、平押しに頼みたい事あればこそ」道理をわけてていねいに頼むのである。しかし白鸚のところかまわぬ大音声の連発を聞いていると、その前半からあくまで威圧によって屈服させようとしているように見えかねない。「与五郎の事については、この長五郎が命でも差し上げねばならぬ筋があるによって、男が手を下げ」たのであって、はじめから脅していたのでは、八百長で負けるという屈辱を受け入れた長五郎の性根と矛盾する。「イヤ長吉殿、イヤサ長吉」で、それまで辛抱していた長五郎の態度ががらりと変わってこそ、ふたりのやりとりは見ごたえあるものになるのだが。

 

勘九郎は放駒長吉と山崎屋与五郎の二役早替り。

長吉は勘九郎にそのニンがぴたりとはまって気持ちの良い好演。セリフの癖がとれて、まっすぐな発声にまず好感が持てる。長五郎に相対して腰をおとしてきまったかたちの良さもこのひとならではのもの。相撲取りとしての安定感と、「ちょこちょこ歩き」が似合う軽さとが見事に両立している。

しかし、与五郎は予想に反して中途半端。典型的な「つっころばし」の役に求められる柔らかさ、愛嬌のある喜劇性といったものが勘九郎の与五郎には欠如している。セリフにおいても同様で、借りてきたスタイルだけが上滑り。勘九郎は亡き父・勘三郎とは声も身体もそのニンもまったくことなるが、こういった役で、その幻影からいまだ逃れられないように思われた。

 

吾妻を演じるのは市川高麗蔵。なんども演じた役だが、今回はじつに余裕があって美しい。

 

コロナウイルス対策ということで登場する人数にも制限があり、相撲小屋から見物客が「長吉勝った、長吉勝った」と言いながらあふれ出るにぎやかな場面はごっそりとカットされていた。それはしかたがないことかもしれないが、数人の覗き見ていた人々が舞台から去ったあと、不思議な間をおいて長吉が木戸口から出てくるのがなんとも寂しい。ほんの少しの工夫でうまくつながるはずなのだが。

 

 

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