黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

『一谷嫩軍記』(国立劇場)

 

霜月の国立劇場は『一谷嫩軍記』より「御影浜」と「熊谷陣屋」の二幕。毎年のように上演される「熊谷陣屋」だが、後半に登場する弥陀六がどのようにして陣屋を訪れるにいたったか、それをえがく「御影浜」の場が上演されるのはめずらしい。なんと四九年ぶりとのこと。

 

その「御影浜」の場から。前述のとおり次の「陣屋」でのドラマを明確にするという意味では親切だ。また中村吉三郎をはじめとする百姓たちの芝居がよく、義太夫をともなわない上演らしくリアルで明快。番場の忠太(中村亀鶴)との立廻りも、ややコメディらしさがすぎるところもあるとはいえ、型どおりというよりこちらもリアルでテンポのよい楽しさがある。

弥陀六を初役で演じるのは中村鴈治郎。声を自在にあやつって時代物らしさを出している。この場ではほとんど肚をわらずに好々爺でとおしているのもよい。藤の方は中村児太郎。

ただし、いくつか演出面で気になるところもある。弥陀六は「見えていない」石塔の施主を案内して花道から登場するのだが、この時点で弥陀六自身には見えているのか、それともいないものを見えているふりをしているのかがわかりにくい。百姓たちに「どこに人がいるぞいの」と問われて振り返り「はて面妖な」とその不在に気がつくのだが、この芝居が中途半端なため、弥陀六がどういうつもりだったのかがいっこうに見えないからである。このもうひとつ前の場を読めばある程度は状況がわかるとはいえ、弥陀六がどこまで知っているのか、石塔建立の施主たる若者は誰(だと思われている)のかは解釈がわかれるところ。この「見えない登場人物」の扱いは演劇的にひじょうに面白いポイントなので、うまく工夫すればドラマに奥行きをもたらすはずだ。

敦盛の持っていた「青葉の笛」の存在に藤の方が気がつくのも唐突。義太夫がないのであれば、セリフのあいだの芝居にもうひと工夫もふた工夫もあるべきだろう。弥陀六のほうも、わざと藤の方に見えるように笛を持ち替えるのだろうが、これもたまたまなのか作為なのかが不明瞭。「青葉の笛」は次の場での重要なアイテムなのに残念。

登場人物の出捌けも気になる。藤の方の出は上手揚幕から。この場では最終的に花道に逃げていくために出を上手からにしたのだろうが、これがなんともさびしい。そもそも藤の方が弥陀六にうながされていちど下手袖に隠れたあと、再度あらわれて花道に去っていくのが余計な段取りに思われる。下手袖に入ったままでこの場を終わるようにして、はじめの出は花道からにしてもよかったのではないか。次の「陣屋」での藤の方の出は花道からだが、そこはかならずしもつながっていなくてもよいだろう。おなじく忠太も上手揚幕からの出だが、これも花道からの出にしたほうが華やかになる。

 

休憩をはさんで「熊谷陣屋」の場。コロナウィルス対策ということで上演時間の制約もあるだろうに、いつもカットされてしまう相模と藤の方の入りや、梶原による弥陀六詮議などもめずらしく演じられた。現行の上演ではやや唐突な存在になってしまう弥陀六と藤の方が、首尾一貫した役になるという意味でもありがたい。

熊谷は中村芝翫。とうぜんのことながら一般的な團十郎型ではなく芝翫型なので、その拵えは黒に赤地錦の裃、顔は赤面という独特。要所でのきまりも團十郎型とはおおきくことなる派手な動きがついている。芝翫は橋之助時代の2003年にひさびさにこの型を復活させて以来、一連の芝翫襲名興行においてこの型でなんども演じているが、今回はより内面が掘りさげられ充実しているのがわかる。

戦語りは目一杯動いて派手だが、そこに抜群のわかりやすさがあるのが特徴。馬を走らせる様子、若武者を助け起こすしぐさ、所作が明快でまるで映画を観ているようなリアリティがある。芝翫型の特徴であるおおきく軍扇をかかげたかたちの平山見得は、やや下手側に右手を傾けひろげ気味。この形には賛否ありそうだ。

首実検での制札の見得は團十郎型では制札を逆さにもって三段に突くが、芝翫型では逆さにせず上向きに掲げる。こうすることで、制札に書かれた「一枝を切らば一指を切るべし」の字を相模と藤の方に見せつけるかたちになり、熊谷がふたりにたいし、みずからの行動がなにを「背負って」とったものなのかを訴えているのが明確。芝翫が「お騒ぎあるな」よりもこの見得のほうにより重点をおいているのがよくわかる。ただし、このように制札を逆さにしないために、團十郎型のようにふたりの女から首を隠すことができない。そのため敦盛/小次郎の首は義経向きにおかれているのだろうが、これでは相模が藤の方より先に真実に気がつくというのが嘘くさくなる。相模の目に見えるためには(舞台上の相模の位置とは無関係に)首の顔は正面を向いているべきではないだろうか。小次郎の首を相模にわたす場面は、縁端に首桶をおくやりかたではなく、ここも芝翫型どおり三段に足をおろして直接手渡し。言葉にできない夫婦の内面が伝わるよい型で、基本的には團十郎型で演じる仁左衛門などもここは芝翫型を取り入れている。

三度目の出で、まずはじめに兜をとるのはやはり團十郎型よりすぐれている。兜の下はこれもオリジナルどおり「有髪の僧」の頭。二重舞台にいるあいだに言う「十六年はひと昔」にいたる一連のセリフも情感たっぷりで感動的。幕切れは引っ張りの見得で、いかにも歌舞伎らしい。

総じて今回の芝翫の熊谷の特徴は、派手な芝翫型によりながら、むしろ内面的にきわめてエモーショナルに演じて成功していることだろう。團十郎型は内面に重点をおいたものだとよく言われるが、忠義のためには私情を滅してつくす男の悲劇は、いまの感覚で言えばひと昔前の古い近代的感覚だ。現代的な家族の愛情のドラマを明確にすることで、團十郎型より古怪と言われる芝翫型が、またひとつアップデートされたと言うことができるかもしれない。ときおり空回りして崩壊してしまう発声が改善されたらというところもあるが、近年の芝翫ではいちばんのヒット。

相模を演じるのは片岡孝太郎。今年のはじめに父・仁左衛門の熊谷を相手に素晴らしい相模を演じていたが、立女形としての風格もくわわってより充実している。陣屋への入り込みがついているため、熊谷の出迎えはいささかいつもとは意味がことなる。正面の襖をあけて相模が出ると、揚幕をいちど見てから藤の方が入った上手の障子屋台に目をやり思い入れ。我が子の消息を心配するとどうじに、熊谷をかたきとねらう藤の方に助太刀すると言った約束も気にかかる、相模のおかれた複雑な状況がよく伝わってくる。前回とおなじく、小太郎の首を三段で受けとるときのひねった身体の美しさは格別。その首を打掛にのせて藤の方に見せる(このとき首の顔ははっきり正面を向いている)その姿もまたよい。現代人が納得できるリアル情感を出しながら歌舞伎としての美しさも見せる、いまもっとも素晴らしい相模ではないだろうか。

弥陀六の鴈治郎は、正体を見顕してからはさすがにニンがことなるため気の毒。三段での述懐は技術で見せているのはさすがだが、その悲痛さ、老獪な武将としての手強さにおいて物足りない。なによりも、鎧櫃を背負って立ち上がるときの制札の扱いが軽すぎる。敦盛が助かったのは平家方のちからだけではない。身内までを犠牲にした熊谷、そしてそれを暗に命じた義経の行為があったからだ。だからこそ、持ち上げられない鎧櫃が「制札に支えられて」はじめて持ち上がるのだ。制札はただの杖ではないはず。 

義経は中村錦之助。さすがに大幹部相手に繰り返し演じてきた本役、抜群の安定感だが、芝翫の熱演の前にやや地味にうつる。この場も藤の方は児太郎で、孝太郎とのバランスもよく好演している。泣きすぎないのもよい。堤軍次は中村橋之助。

 

 

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