歌舞伎座第二部は、片岡仁左衛門一世一代と銘打っての『渡海屋・大物浦』である。中村吉右衛門亡きあと、義太夫狂言において無二の存在となった仁左衛門のこのうえなく充実した芸が、感動的な舞台をつくりあげていた。それは、古典と現代性の融合をめざして型の工夫をつづけてきた仁左衛門の一世一代にふさわしく独特で、その特徴をひとことで言えばきわめて超越性を排したリアルなドラマであった。
仁左衛門演じる銀平(実は知盛)は、もちろんそのスケールはおおきいのだが、ことさらにそれを強調することなく、どちらかと言えば目の覚めるようなきっぱりとした演じかた。相模五郎(中村又五郎)の「亭主とあらば言つて聞かさん」からはじまる無理な難癖を聞いているあいだ、鷹揚に聞いているというよりは、はじめはじっと耳を傾けて聞き、様子が知れてからはじめて笑みを浮かべるというこまかさ。狼藉者をおしとどめて声高に言う「お匿い申したらなんとする」を、奥に隠れて耳を澄ませている義経主従に聞こえるように張るのは誰もがするやりかただが、わざとらしくないのがうまい。かつまたそれを下手向きに顔をかたむけて言うのが仁左衛門ならでは。歌舞伎の様式としては貴人であり客人である義経は奥に(つまり上手側に)存在するというお約束だが、そのあとで義経が出てくるのはわずかに下手よりにある暖簾口から出てくるからこその工夫。
白装束に着替えて二度目の出になる。上手の大道具裏からは鳴り物が聞こえるが「桓武天皇九代の後胤」の謡はなく、竹本の語りに合わせて姿を表し、そのまままっすぐに本舞台へ降りる。よくよく考えてみれば、すでに義経一行は出立していないのだから、この場においては知盛は自分が「幽霊」であると擬態する必要はないのである。その擬態が有効なのは、これから向かう大物浦の戦場なのだ。そうなると「桓武天皇九代の後胤」の謡は(知盛は壇ノ浦で死んだと思っている)観客へ向けての超自然的な効果を高める演出にすぎない。もちろんこれはいかにも古風な歌舞伎らしい特徴なのだが、それを仁左衛門はあっさりとカットする。そのことにより、これから戦場へおもむくひとりの男のリアリティあるドラマが明確になることは言うまでもない。安徳帝にうながされての舞は、中央をしっかり空けた位置取りがよく、軍扇を正面に突き出したツケをともなう見得があざやか。
大物浦になり、三度目の出。花道から登場し、敵兵を追い払って七三で薙刀を逆さに突いてきまる。このとき「舌出し」や「幽霊手」をしないのも仁左衛門流。幽霊の擬態を排するのは、すでに敵兵が見えないところまで逃げていったことを意味するだろう。結果、戦場にひとりのこされた知盛が強調される。「天皇は何処におわす」と安徳天皇と典侍の局に呼びかけるセリフは繰り返されることなくいちどだけ。その言葉を発しようとも喉の乾きで声が出ず、みずからに刺さった矢を抜いてそこから流れる血で喉を潤してはじめて絞り出されるという、壮絶なる上方独自の型。義経と対峙し、悲痛な(そして痛々しいまでの)あがきから、ゆっくりと吐くような「天命」のひとことまでのセリフの明晰さ。言葉が明晰だということにくわえ、その意味するところが明晰なのだ。あがく知盛も、安徳帝から「仇に思ふな知盛」と声をかけられはじめてこころが折れる。その解脱とも安堵ともいえる内面が自然に見るものに共有されていくのも、仁左衛門の芸風ゆえだろう。
餓鬼道・修羅道・畜生道のいわゆる「三悪道」のくだりは先日亡くなった中村吉右衛門の名演がいまだに目に残っているが、仁左衛門のそれは根本的にべつのものだ。吉右衛門が源平の戦いのありさまをこの世のものとは思えない「地獄」として壮絶にえがくのにたいして、仁左衛門が見せるのはあくまでこの世のなまなましいありさまである。まるで戦争映画を見せられるかのようにうかびあがってくる、この世での戦場のリアル。まるで『熊谷陣屋』の物語を聞いているような、いきいきとした再現性が特徴だ。ここでも超越性が排され、リアリティが追及されている。
もうひとつ忘れられないのは、幕切れの投身である。岩場にあがっていくあいだも綱をその身体に結びつけるあいだも、一瞬たりとも気が抜けないのはさすが。巻きつける綱とは断ち切れない(断ち切ることをみずから拒絶した)あまたのしがらみであり、持ちあげる碇とは知盛がその肩に背負った平家一門の怨念の重みであるから当然である。この「碇」は「怒り」につうじる。みずからの投身でそれを海に「鎮めよう」というこの場の意味が、きわめて明快にみえてくる。投身の瞬間も仁左衛門ならではだ。ほとんどの役者が足を踏ん張り、勢いをつけて飛びあがって背後に身を投げる。そのほうが豪快に見えるからという口伝があってことなのだが、仁左衛門は碇のついた綱に引きずられるように真後ろに一瞬で落ちていく。これもまたリアルであるとともに、碇の重さとつながっているように見えることで前述のような意味がかえって明確になるのはあきらかだ。あまりのイキのすばらしさに、おもわず「あっ」と声をあげそうになった。それが仁左衛門が一世一代でつとめた、知盛の見納めだったのだ。その姿の消えた舞台には、これまで体験したことがないような感動が満ちていた。
典侍の局は片岡孝太郎。これがまた一世一代の仁左衛門の相手にふさわしい傑作だ。この数年のあいだ、時代物の大役ですばらしい成果を見せている孝太郎だが、今月も堂々たる大当たり。数々の名優が演じてきた舞台を思い返しても、まちがいなくトップクラスの典侍の局だと言って過言ではない。
渡海屋では「女房お柳」として手際のよさが自然でさすが。それでいて店を切り盛りするだけの余裕もみせ堂々としている。義経を前に披露する亭主自慢の「喋り」はセリフのたてかたが明確で話が立体的に見えてくる。仁左衛門の「語り」のうまさとリアルさは確実に孝太郎に受け継がれている。ただし、ややていねいすぎてテンポ感に欠けるのも事実で、これに上方らしいしゃべくりの面白さがくわわれば理想的だろう。知盛二度目の出における「お柳」から「局」への変わり身は、ことさらなにもしないで自然なまま。これも前述のような仁左衛門のリアルなやり方とマッチしていてよい。
この典侍の局は、見せ場となる奥座敷でさらなる名演を見せる。安徳帝を二重舞台から平舞台へ誘う場面では、帝を侍女に抱かせ、みずからは扇を傘のようにその頭上にさしながらともなうという独自のやりかた。幼帝を抱いて不格好になることも避けられ、かつそばをはなれず帝への情愛をみせられるよい型だ。印象に残るのは、安徳帝が「波の底の都」について話しているあいだの、典侍の局の見上げかた。平伏しながらわずかに顔を上げ、斜めに控えめに帝を見るその姿が、なんとも言えない美しい絵になっている。先んじて海に身を投げる侍女たちの姿を、手を大きく広げて後ろ向きになって(つまり侍女たちの身投げにむかって)見るのも舞台いっぱいに想いがひろがるようでよい。そしていよいよ帝を抱きかかえ投身をとなって「いかに八大竜王」と大音声をあげるわけだが、孝太郎は平舞台中央で言う。この位置は役者によってさまざまだが、そのあときりっと振り返り海に向かって歩いていく後姿の美しさを考えれば、孝太郎の位置取りは大正解と言える。
義経は中村時蔵。いかにも時蔵らしいあっさりとした義経。しかし、そのあっさりさがこの作品のなかのもうひとりの悲劇の主人公にふさわしいあわれさを感じさせ、今回の舞台にふさわしいリアリティがある。大物浦で知盛や典侍の局の言葉に(うるさくならないように)ごくわずかにうなずく「受け」の芝居がうまく、その情け深さが際立つ。
弁慶は市川左團次。「渡海屋」冒頭の弁慶が安徳帝を跨ごうとして足を痛めるくだりはカット。もちろんそれはよくあるカットで、上演時間の短縮や老齢の左團次の負担軽減を考えてのことだろうが、超越的なものを廃した今回の舞台にあっては、しごく当然のように思われた。結果として出番は終幕の後半のみだが、年齢を感じさせぬきっぱりとした足取り、仁左衛門とふたりでツケをともなってきまった形のよさが印象にのこる。この役者は八十の齢を超えてから、不思議なことに芸に繊細さが加わったように思われる。「もはや悪念発起せよ」の言葉尻にこめられた独特の優しさが泣かせる。幕外での法螺貝から引っ込みもこのうえなくシンプルで、またそれがじつに味わい深い。
中村又五郎の相模五郎、中村隼人の入江丹蔵はきっぱりとした芝居で舞台がしまる。ことに「魚づくし」は絶妙なバランスで見事のひとこと。ことに隼人は数年前までからは考えられない立派なセリフに感心した。安徳帝の小川大晴も朗々としたセリフが印象的で好演。
予想以上にふかい感動をあたえてくれた「渡海屋・大物浦」だった。仁左衛門の知盛がこれで観納めになるかと思うと寂しい気持ちでいっぱいになる。集大成ともいえる名演に出会えたことに感謝しかない。また、仁左衛門がながいあいだ取り組んできた古典を現代のドラマとしてどう生まれかわらせるかというテーマが、はっきりと子息・孝太郎に受け継がれて、かつ成功しているのが感じられた舞台でもあった。