黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

二月大歌舞伎第二部(歌舞伎座)

 

五世中村富十郎は文字どおり比類のない名優であった。たんにうまい役者だというのではない。声のよさ。セリフの明晰さ。折り目正しい踊りの所作の美しさ。そこに高いクオリティをたもちながら、いずれもが「富十郎らしさ」に満ちた誰にも真似のできない独特なものであったからだ。晩年は播磨屋の一座に身をおくことがおおく、吉右衛門と組んだ名舞台をたくさん残した。二十世紀もまもなく終わろうかというころ、六十九歳になったこの富十郎に跡継ぎが生まれた。歌舞伎ファンに「大ちゃん」と呼ばれて親しまれたこの跡継ぎに、富十郎は二十歳になったら富十郎の名跡を継がせたいと熱望していたらしい。だがその日をむかえる前に富十郎は他界し、その意志をついで後ろ盾になってきた吉右衛門もいまはもういない。その富十郎の十三回忌に「大ちゃん」こと中村鷹之資が『船弁慶』を出すことの意味はおおきい。

 

『船弁慶』の前シテである静御前はもともと動きのすくない役だが、鷹之資のそれはよりいっそう抑制されていて、まるで能のそれを観ているようである。けっして派手さはないが、指先まで神経がいきとどいているていねいさがよい。見ごたえがあるのは後シテの知盛の霊。この役には独特の足運びがいくつもあるが、そのいずれもをこともなくきめている。所作がシャープにきまるのが、どこか富十郎と似ていてなるほどと思う。総じて欲を出して表現することよりも、きっちりと型をていねいに踊ることに重きをおいた舞台。例外として幕外の引っ込みが若者らしい激しさが前面に出て引き込まれる。まだ二十三歳の役者の演技としてはじゅうぶんすぎるクオリティだろう。歌舞伎役者の踊りとして、これからどう鷹之資らしさを出していくのか楽しみだ。

ひとつ気になったのは、声がややからまわりしている点。ふだんから鷹之資はいい声でセリフをいうと思っているのだが、今日は静の声も知盛の声も、いささか力んでいるように聞こえる。せっかくの素敵な声帯をうまくいかせたらなおよいだろうと思われた。

まわりの役では第一部につづいて尾上松緑が船長で出て、気持ちのよい踊りを見せる。弁慶に中村又五郎、義経に中村扇雀。