黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

團菊祭五月大歌舞伎昼の部(歌舞伎座)

 

八代目尾上菊五郎襲名興行の初日。きわめてすぐれた資質の持ち主である新・菊五郎の誕生をこころから祝いたい。七代目もひきつづき菊五郎を名乗りつづけるとのことで、どうじにふたりの菊五郎が並立するというなんとも不思議な状況の幕開け。

 

都合により『寿式三番叟』は観られず『勧進帳』から。團菊祭の名にふさわしく、市川團十郎の弁慶と新・菊五郎の富樫左衛門という組みあわせ。

新・菊五郎の富樫はとにもかくにもエッジの効いた攻めの富樫。ここまでの鋭角さは過去の自身の富樫にはなく、むろん父・七代目とも違う。どこか亡き富十郎の富樫を思わせるものであり、その富十郎が一日だけ弁慶を演じたときに吉右衛門がつきあった一期一会の鬼気迫る富樫にもつうじるものであった。菊五郎襲名の高揚だけだはない、新世代の富樫の規範をつくるという意気込みさえ感じるというのは言いすぎだろうか。たとえば「山伏問答」などではセリフの明晰さ、イキのよさは言うまでもないが、つねに身を乗り出し気味の身体から緊迫感が抜けないのがなによりよい。

それでいながら、あくまでワキとしてシテの弁慶の演技を立てる意識を失わないのがさすが。「たとわば人間なればとて」とじろりと睨む弁慶の言葉をうけ、わずかに身をよじるうまさ。富樫の芝居に奥行きが出るだけではなく、弁慶の言葉が立体的に生きるようになる。

團十郎の弁慶は菊五郎とがっぷり四つに組んで見応えあり。その松羽目物らしい抑制のなかに豪快さが惜しげもなく見え隠れする、いつもの團十郎らしい弁慶。ことに今回は富樫との詰め寄りの力感、石投げの見得の美しさ、延年の舞のおおらかさなど、よりその完成度が増したように思われた。義経らを先に去らせたそのあとを飛び六方で追う弁慶。このところ團十郎の弁慶はやや「観せる」意識が強い(かんたんな言い方をすればショウアップされた)ように感じていたが、主君を無事に去らせたいという初一念がくっきりと見えたのが今回の幕切れ。それは海老蔵襲名のころにあったこの役者のよさであり、ひさびさに團十郎の本気の弁慶を見た思いがした。

義経は中村梅玉。そこに存在するだけで漂う御大将としての気品はさすがのひとこと。「判官御手」は三度身体をねじりながら前に出て、右手をスッと伸ばしたまま身を沈めるシンプルな形。ただしセンターへ行きすぎなのか、そのあと弁慶が出てくるときに慌てて場を空けるように見えてしまうのはおかしい。花道を駆けての引っ込み、花道の際で一瞬明確に足を止め、笠を僅かにあげて本舞台の富樫を見るリアルさが独特。超越した気品のなかにこういうリアルさが混じるのが梅玉らしい面白さ。

 

『三人吉三』の「大川端」が菊五郎ゆかりの演目としてとりあげられるが、ここでお嬢吉三を演じるのは中村時蔵。期待どおりのさすがのお嬢で、朗々と七五調のセリフを歌いながらそれが流れすぎずほどよく現代的。「こいつぁ春から演義がいいわえ」はもっと歌いあげたほうが気が晴れてよいように思うが、おそらくは男の声を意識しすぎたせいか。「道の用心に持っていこう」を現代風に軽く言うのは、これはこれでありか。ささいなポイントだが「お坊吉三」「和尚吉三」という彼らの名乗りを聞いたときの、一瞬ハラで受けとめ、それからさりげなく顔をそちらへ傾けるていねいさがよい。歌舞伎役者としての時蔵のうまさを垣間見る一例である。

しかしそんな時蔵の健闘にもかかわらずこの「大川端」が芝居になっていないのは、ひとえにほかのふたりの役者のニンが違うためである。中村錦之助の和尚吉三と坂東彦三郎のお坊吉三は、誰が見ても役が逆だろう。もちろんそれが面白くなる場合もある。三十年に七代目菊五郎のお嬢、二代目吉右衛門のお坊、十二代目團十郎の和尚という組み合わせで『三人吉三』の通しが上演されたことがあった。言うまでもなく團十郎と吉右衛門の役は逆のほうがニンに合っているが、それも演じ方の工夫で面白い舞台になっていた。しかし今月の彦三郎はまるで微塵弾正かのような重厚さで押しとおすのにくわえ、草履の扱いなどにもやわらかさがない。錦之助はセリフが早口で軽くなり、かつ七五調の黙阿弥のセリフを要所要所で改変し捨て台詞のようにぼかしてしまう。おたがいに役が逆なのではないかと思わせる要素を満載にしているように思えてならない。

その違和感のなかで素敵に目を引くのは、中村莟玉演じるおとせ。おとせらしい無邪気なかわいさがあり、かつ時蔵のお嬢と対比があってよい。「ありゃ人魂でござりまする」はサラリとしすぎか。それを言うなら音羽屋系ではカットされる「人魂より人が怖うござります」のセリフは時蔵にはぜひ言ってもらいたい。

 

今月の『京鹿子娘道成寺』は、ひとことで言えば祝祭的である。新・菊五郎、坂東玉三郎、新・尾上菊之助の三人が、花子という役をときに踊り分け、またときに連れ舞う。それが襲名という場にふさわしく豪華だから祝祭的というのではない。

新・菊五郎が菊之助時代に玉三郎とふたりで踊った『二人道成寺』は話題になったが、鏡にうつしたかと思うほどあのときの菊五郎は玉三郎の影響下にあった。それが今月の菊五郎を見ていると、完全にそれから意図的に脱却したようだ。イメージで魅せる玉三郎の花子とも、指先まできっぱり踊りきる先代中村芝翫のそれとも、幽玄なまでに妖しい六代目中村歌右衛門のそれともことなる、まぎれもない「音羽屋」の古典的な花子に生まれ変わっている。菊五郎らしいあたらしい菊五郎が誕生する瞬間。それこそが祝祭的という理由である。

新・菊五郎と玉三郎の芸の方向性の違いという意味でひとつの例をあげる。花子はなんども恨みをこころに秘めながらつりあげられた鐘を見るが、その見方がかなりことなっている。玉三郎は鐘のある上手に顔を向けはするが、どちらかといえば客席よりに眼をむける。直接鐘を見るのではなく、頭のなかのイメージとしての鐘を見ており、観客の眼は玉三郎の眼のなかに上手の鐘を重ねあわせて見るのである。新・菊五郎は明確に顔をおおきく上手へ傾けて鐘を見る。観客は「鐘を見る花子」という絵面そのものを見るのであり、そこに視線の交差は生じていない。その捻った身体の美しさもあわせて、菊五郎の花子が「古典的」だと感じさせるのだろう。

新・菊之助には期待でいっぱい。いまも精一杯踊ってその才能の片鱗を見せるが、今月をとおしての成長も、また『道成寺』という大曲をひと月踊ったのちの成長も楽しみである。

 

 

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