市川團十郎白猿のこのところの躍進にはいちじるしいものがあり、五月の『勧進帳』の弁慶や『白浪五人男』の日本駄右衛門、そして先月の『暫』の鎌倉権五郎などはこれまで以上に充実していたのが記憶にあたらしい。とくに市川家の家の芸である荒事にかんしては、こんにちでは唯一無二と言ってよいだろう。その團十郎が当月歌舞伎座の昼の部で「新歌舞伎十八番」から四演目をならべ、みずからもそのうち二演目で主役を演じるという。純粋な荒事とはまたべつの松羽目物での新境地が見られるかどうか。
『大森彦七』は市川右團次の彦七。いつも以上に口跡がよく、セリフの説得力は抜群である。とくに後半幕切れ近くに楠木正成の亡霊に向かっていく(という芝居をする)場面はたいへん鮮やか。道後左衛門は市川九團次。こちらもセリフの明晰さ、敵役としての手強さがよい。急な代役で千早姫を演じた大谷廣松とあわせ、すっきりと好演揃い。幕開きの百姓三人(左升、かなめ、升三郎)からして芝居が明瞭でよい。
問題は台本と演出。二十六年前の先代幸四郎(現・松本白鸚)のときも感じたが、台本そのものが他愛がなく稚拙。かさねて大事なところできまらない。彦七と千早姫がハッとする前半の幕切れもぼやける。後半はせっかく竹本と常磐津の掛け合いという面白い趣向なのに、その立ち回りは平凡で見せ場がない。昭和時代には数年にいちど上演されていた作品が、二十六年も上演されなかっただけのことはある。せっかくの新歌舞伎十八番を虫干しするのであれば、もうすこしていねいな演出の見直しがあってもよいのでないだろうか。
『船弁慶』のシテは團十郎。まずは前シテの静御前がきわめて秀逸。現在の歌舞伎界おいて能がかった役のうまさは八代目菊五郎が抜きんでているが、團十郎もまた格調高い静を演じて見事である。その出から舞まで抑制の効いた動きで緊張感をたもちながら、いよいよ義経と別れるとなって『アラ是非もなき事にて候」と落とした烏帽子を手に取った刹那に舞台にひろがる悲哀が秀逸。別れの挨拶をし花道へと去っていく足取りに、それまでにはなかったわずかな未練を見せる技術。七三で右手をあげてしおるそのかたちだけで、しっとりとした余韻を感じさせる。
後シテの知盛の霊は、意外な印象をうけた。花道に出て「桓武天皇九代の後胤」のあとの「いかに義経」のボソッとリアルな言い方でまずおやっと思わせる。本舞台に出てからも怨霊というより、潔いほど無機質に見える知盛である。その無機質さがこの世のものではないとも言えなくもないが、それにしてはなにやら舞台が急いている。幕切れになります外での引っ込みでようやく古怪でスケールのおおきい知盛になるのだが、團十郎はあたらしい表現を模索しているのだろうか。
義経は中村虎之介。姿はすっきりとしているが、ややセリフが力みすぎている。能ではなぜ子方(子役)が演じるのか、その超越性を考えたら必死に見えすぎる。「そのとき義経すこしも騒がず」は、無声音で息が止まって聞こえてしまうのがおかしい。
弁慶は市川右團次で、この演目でも口跡の鮮やかさ、また松羽目物らしい所作の折り目正しさが印象に残る。舟長を中村梅玉が演じる。この役者のサラリとした芸風が生かされながら、舞台をキリッとしめるところがさすがだ。舟を漕ぐその手の動きを見ているだけで絵になる不思議。
『高時』は坂東巳之助が北条高時を演じる。まずはセリフににじみでる横柄さがよく、またそこに暗さがあるのが往年の十一代目團十郎を思わせる。幕切れのきまった姿も美しい絵になっている。愛妾・衣笠は市川笑三郎で、ひさびさに若く美しい役を見る気がするがやはり落ち着いてうまい。もっと主役を演じてほしい役者のひとり。
こたらも作品としては、もっと刈り込んでもよかろうものと思わせる凡作。活歴もののリアルさがベースにあるからこそ、犬たちの場面や天狗のスペクタクルがかえって中途半端に浮いてしまうのも気になる。
『紅葉狩』はやはりと言うべきか、昼の部でもっとも見ごたえのある幕になった。これも團十郎演じる前シテの更科姫が想像以上によい。以前演じたときには顔の美しさが女形を可能にさせていたが、今月は芸の美しさがきわだつ。はじめはそれほどでもないが、酒の肴にと言われ踊りはじめたとたん、異様なオーラを纏いはじめる。はじめはきわめて抑制的に古風に、引き抜いてからはこのうえなくしなやかに。扇子の扱いにあやういところがなんどもあったが、それでも手首の柔らかさが尋常ではなく異色。女形ではけっして出すことのできないであろう中性的なその美は、古代ギリシャの芸術を思わせるものだ。九代目團十郎の更科姫が断片的ながら貴重な映像にのこっているが、それに似ると言うのは言いすぎでもないだろう。眠る維盛への見顕しはあからさまに本性を出していくやりかたで、振り切っていて気持ちがよい。後シテは想像どおり古怪豪快。
平維盛を演じるのは松本幸四郎。幸四郎はこういった役をやらせたらさすがというべきか。前半の更科姫になかなかこころを許さない緊張感も、後半での鬼女になった團十郎との引っ張り合うような立ち回りのあざやかさもよい。中村雀右衛門の局、市川ぼたんの野菊、市川男女蔵の岩橋とまわりも安定した配役。ことに侍女頭の中村しのぶは所作からセリフから一級品。
驚くべき見ものなのは、市川新之助の山神である。まだ十歳というその身体が、じつに力強くきまって心地よい。これまで何人もの山神を見てきたように思うが、先達たちのそれになんの遜色もないどころか、少年が演じるというその特殊性が役の神性を増している。セリフもあの年齢で出せる声をそのまま生かして、無理なく発声して聞かせるのにも感心するのみ。
