2022年にみずからの選択によってその生涯を終えた、不世出の映画作家ジャン・リュック・ゴダールの遺作『シナリオ』が公開された。この20分に満たない『シナリオ』本編と、ゴダールが『シナリオ』の構想をメモを片手にスタッフに語る様子をおさめた30分程度の長さのドキュメンタリーがあわせて上映されている。
ゴダールはそのキャリアのはじまりから、とにもかくにも映画というジャンルそのものの表現の可能性を追いつづけた作家であった。いや映画の存在そのものについて問いつづけたと言ってもよいだろう。晩年にちかづくにつれて、その作風は難解と思われることを厭わないものになっていく。とくに目立つのはみずからの過去作を含めた既存の映画や絵画、音楽そして文芸作品などからの膨大な引用であり、作品のほとんどをそれらのコラージュがしめるまでにいたるものもあった。
『シナリオ』は基本的にはこの引用のコラージュの手法の延長線上にあるものだ。だがそれはあまりにみじかく、またドキュメンタリーを観るかぎりは構想ともまったくべつのものであり、予告編として考えられていたものともことなっているので、最終的にほんとうにこれをゴダールの遺作として評価してよいのかは保留するべきなのかもしれない。だがそれでもまた見返したくなる魅力的なショートムービーであり、いたるところにゴダールらしさが満ちている。
特筆すべきは、映像とおなじくらい徹底して語りや音楽を含めた音にあふれているゴダール作品にしては、めずらしいくらい無音の時間があること。それはゴダールの意図なのか制作上の都合なのかはわからないが、きわめて雄弁な空白に思われた。
面白いのが『シナリオ:予告編の構想』と題されたドキュメンタリー。手作りの冊子をめくりながら構想を語るゴダールの、その頭のなかを垣間見れて楽しい。本編どころか「予告編」の構想であり、それさえもまだこれから用意しなければならない素材があったり、ゴダール自身考慮中の事項があったりする。それなのにこの翌日ゴダールは「構想どおりに」命を断つのである。
なんとなく「遺作」と思われても不思議ではないような作品を、なんどもつくっては更新していた晩年のゴダール。ついにわたしたちは、完成されることのないまま中断された「最後の遺作」を観た。前作『イメージの本』によって極限までの全体性へのまなざしを見せたゴダールにとっては、その中断という行為によって永遠に観られなくなった「ありとあらゆる可能性を内在させた」幻の完成作そのものが、むしろ遺作だったのかもしれないが。
