黒井緑朗のひとりがたり

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川畑哲佳ピアノソロリサイタルvol.1「執拗さのなかで」(門天ホール)

 

川畑哲佳のソロリサイタルを聞く。作曲家・木下正道のピアノソロ作品をまとめて聞くことができる貴重な機会となった。美しく繊細、そしてけっしてアヴァンギャルドである必要がない作曲家の音楽である。

 

一曲目は木下正道の『海の手IV』から。この日の木下作品のなかではもっともエモーショナルさが抑えられ、そのぶんフォルムがきわだつ作品。いささか突き放したような硬質の曲だが、サウンドが美しくないのは調律のせいか、会場の音響のせいか。

シャリーノの『ピアノソナタ5番』をはさんで木下の『Crypte 1』が演奏されたが、これはこの日のプログラムのなかでも屈指の傑作だろう。きわめて色彩に満ちた穏やかな和音と単旋律がおりなすそのバランスが絶妙な完成度。木下がラインとしての「歌」を書ける作曲家であることを再認識させてくれる。それはもはやメロディというよりも、むしろ孤高のモノローグと言うべきものだ。

がらりと曲想がかわって『Liaison II』でシンセサイザーとのデュオ。「執拗に」繰り返されるピアノのEフラットの同音連打に、暴力的に増幅された音響がまとわりつく。興味深いのは、はじめはその特徴的な連打音というベースラインにさまざまな音響がかさなっていくさまに耳が奪われるが、それがやがてシンセサイザーの音響が背景になってピアノの音が前面に浮きでるように感じはじめることだ。いわゆる図と地が逆転していくとでも言うのだろうか。だからこそ穏やかな中間部をへてふたたび連打音の曲想が回帰するとき、ピアノの音のつくりだす切実なる孤独感がせまってくる。共演のエレクトロニクスは林賢黙。

 

休憩をはさんで後半は、新作の委嘱作(木下正道以外の作曲家)が「諸般の事情により」中止となり、ガブリエーレ・マンカ の 『Offese fantastiche』に差し替えられた。演奏時間がみじかくなったかわりに、川畑と木下の笑いあふれるトークが挟まれ盛りあがる。

このあとも木下作品となり『Crypte II』と『「すべて」の執拗さのなかで、ついに再び「無」になること 11』がつづけて演奏された。前者はふわりとしたクラウド感のある和音が特徴的で、そのなかを六つの音からなるモティーフが変形され「執拗に」くり返される。『Crypte Ⅰ』と本来はひとつの対になったものらしい。

『「すべて」の…』は、チャイコフスキーの『アンダンテ・カンタービレ』を思わせる三度上行と三度下降による冒頭のモティーフが展開されていく。高音域または低音域でトリルが弾かれるなかで音の断片が線をかたちづくり、ときおり音域の広い強奏で段落がかたちづくられるのがくり返される。まるでその構築のありかたがブルックナーのように思われた。そしてときおりさりげなく(しかしきわめて明確に)響きわたる「B・A・C・H」のモティーフとその変形もあわせて、どことなく記号的操作が特徴的だ。

そしてこのいささか長めの曲をしめくくるその瞬間が、この日のコンサートの白眉。川畑の演奏は、作品をきいたことのないわたしたちが「あぁ、あと数音でこの音楽が終わるのだ」という予感ができるものだったのだ。それはこういった音楽ではなかなかできることではないが、じつにほんとうに見事な演奏というしかない。その瞬間に木下作品のみならず、シャリーノも、マンカも、その日聴いた「すべて」の音楽が「執拗さのなかで」ひとつにつながるのを感じたこともふくめて、川畑の企画は大成功だったのだと言ってよい。


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