黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

二兎社『狩場の悲劇』(紀伊國屋サザンシアター)

 

チェーホフの書いためずらしい長編小説、しかも叙述トリックをもちいたミステリーの舞台化。といってもいまとなっては穴だらけの原作をそのままというわけではなく、脚色・演出の永井愛によってあたらしい姿にうまれかわっている。

原作の『狩場の悲劇』は、雑誌の編集長をしている「わたし」のもとを訪ねた予審判事のセルゲイが、自分の書いた小説を持ち込むことからはじまる。この小説内小説のなかでは、作者であるセルゲイ自身の一人称で、若く美しいオリガ(オーレニカ)をめぐる三人の男たちの関係と殺人事件の顛末が語られている。この小説を読んだ編集長が、三ヶ月後に作者セルゲイにむかって原稿にかくされた秘密をあばく、という入れ子構造になったミステリーである。

一読すればわかるように、ミステリーを読み慣れていない読者であっても気がつく不自然さ、あまりにわかりやすい真実など、ネタバレを控えるほどの謎があるわけではない。ただ舞台化するにあたってその小説内小説という構造をどうするのか、また「信頼できない語り手」のあつかいを演劇としてどう見せるのかが改作のポイントだ。

まず入れ子になっている構造だが、セルゲイの書いた小説内小説の内容を、編集長の部屋でセルゲイ自身が語って聞かせる(見せる)というかたちをとる。面白いのは読み手であった編集長自身もその場にいつづけており、セルゲイとはしばしばその内容について会話することである。いわばセルゲイの話にその場でいちいち「つっこみ」ながら、読み手(聞き手)でありながら語り手にもなる。小説でも映画でも不可能性な、演劇ならではの手法が成功している。

またそのメタ構造を生かして、さきにのべたような作品のあからさまな不自然さや違和感にも言及する。そしてそれがラストになってもうひとつべつの視点が導入され、作品そのものへのみごとな批評的展開をみせるのがうまい。「信頼できない語り手」が誰であったのか、その本当の意味を指摘する劇的な結末もみごとである。これによってチェーホフもまた救われている。

演じ手も脇までこぼれることなく充実していて見応えがある。ことにセルゲイ役の溝端淳平、編集長役の亀田佳明のセリフと間のうまさ、たたみかけるような息のあったやりとりが秀逸。体調不良で残念ながら降板した門脇麦にかわってオーレニカを演じたのは原田樹里。前半と後半でまさに文字どおり「ひとがかわった」ようにヒロインの変化を演じわけて引き込まれる。ウルベーニン役の佐藤誓の不気味な存在感がまた格別。退屈になりかねない前半も面白く観られたのは、俳優陣の奮闘のおかげにほかならない。

舞台装置は大田創。編集長の部屋と回想シーンをひとつの空間で見せるのにふさわしいセット、しかもそれがきわめてセンスよいデザインでまとめられている。紗幕越しに森が見える奥行きもまた素敵だ。


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