OrgofAの新作上演『コウノトリが飛ぶ島国で、この部屋で』を観る。作・演出は演劇家族スイートホームの髙橋正子。タイトルからしてこの国(または北海道)における子供や出産をめぐる家族関係をテーマにしているのだと想像できるが、期待させる以上に面白い公演だった。
アクティングエリアは半径三メートル程度の扇型の舞台。中央やや下手寄りにちいさな卓袱台があり、本が積みあげられている。舞台上手奥にはちいさなダイニングテーブルと椅子。下手奥にはベビーベッドがひとつ。
ぜんぶで五つのものがたりがあり、それぞれふたりの登場人物(またはひとりとオンライン上の誰か)がかけ合うことで進行する。そしてこの作品の面白いのは、その五つのものがたりがオムニバス形式ではなく、おなじ舞台で入れ替わりながら並行して進行することだ。
「できてしまった子供」をめぐる母と娘の話。「これから生まれる子供」をめぐる彼女と彼氏の話。「生まれてしまった子供」をめぐる父親の話。「生まれなかった子供」をめぐる妻と夫の話。そして「まだできてもいない子供」をめぐる姉と妹の話。彼らは彼らの部屋のなかで語りあうが、ときとしてべつのものがたりの人物が舞台には残ったままだったりする。それぞれの事態は独立しているようで、もしかしたらそうなるかもしれない、そうであったかもしれない自分たちが重なりあっていることを視覚的に明示している。それでいながら彼らがほんとうに言いたかったことを言いあうとき、ほかのものがたりの人物たちは舞台にはいない。それが切実なるパーソナルな領域における言葉だからである。
その場割と演出が絶妙にうまく行っているが、ひとつだけ気になったのは妻に出ていかれて男手ひとつで赤子をあやす父親のものがたり。オンラインミーティングを重ねるふたりの仕事相手が半透明のカーテンのむこう側に現れて会話をするのだが、彼らはほんとうに姿を見せるべきだったのか。もしかしたら声さえもなく部屋にいる父親の一方的なセリフだけで成立させるほうが効果的だったのではないか。
よく練られた戯曲に負けず劣らず、出演者はいずれも大熱演。子供、出産、家族というセンシティブなテーマをていねいに演じていた。なかでも飛世早哉香と町田誠也の演じる夫婦の場面には圧倒される。そのセリフの応酬のみごとさもさることながら、ふたりの身体からえも言われぬストレスの塊が立ちあがり、それが劇場空間を埋めつくすからである。
この作品は結局のところ、わたしたちが直面している子供を産み育てるということに、答えを出さない。ただそれでも悩むしかないわたしたち誰もに、明日がおなじようにくるのだということだけしか言わない。だが、それがよい。
