『丸橋忠弥』は河竹黙阿弥のいつもの台本を、 わずかながら整理してわかりやすくしたものになっている。 竹柴潤一の補綴、西森英行の演出という、 この数年尾上松緑とともに講談をもとにした新作を世に出している チームである。この『丸橋忠弥』ももとは講談であり、 一連のシリーズの番外編といったところ。 そんなに頻繁に上演される作品ではないが、 ブラッシュアップして後世にのこすだけの価値はまだまだある。
松緑はにどめとなる忠弥役が安定感があってよい。 酔っているようすがかたいのはこのひとの芸風なのでしかたないが 、 そのかわり堀端の場での石投げの場面や松平伊豆守に傘を差しださ れる場面などのハラのつよさは凄みがある。「忠弥住居」 でつくり酩酊から素面に返るところは、いささか変化にとぼしい。 これは隠していた本心をあかすきっかけがわかりにくいという、 台本上の問題点でもあるので、 もっと演出が練られてカヴァーされてもよいだろう。 大詰の立ち廻りは後半になるにつれ引き込まれた。
まわりが揃っているのがチーム松緑のよいところ。 そもそも幕開きの屋台で酒を飲んでいる中間たちからして、 酒好きらしいリアリティがあって世話物の空気がつくられる。 常連の河原崎権十郎の演じる義父・藤四郎は、芝居のうまさは言うまでもないが、娘や婿・忠弥がお咎めをうけてでも訴え出る正義と忠義が見えるのがよい。柴田三郎兵衛の中村吉之丞、坂東亀蔵の加藤市郎右衛門のセリフの明晰さ。彼ら一座常連の面々がこのうえない安定感がある。
中村雀右衛門の演じる妻・おせつは、武家の女房という自然な風情と、飲んだくれの夫を心配しつつ困り果てる世話女房の味があってよい。そして今回の『丸橋忠弥』でもっとも存在感があるのは市川齊入の母・おさが。『鎌倉三代記』の長門にもつうじる立派な武家の母である。
『芝浜革財布』は落語の『芝浜』を原作とした人情喜劇だが、おなじ落語由来の『文七元結』などとくらべると格段に歌舞伎演目として二流の作品である。上演によっていくつかの底本となる台本があるが、場面構成がうまくいっていないうえに、セリフなど歌舞伎としてのしどころがすくない。あとは演じる役者によって面白くなったりつまらなくなったりするが、今回はなかなか見ごたえがあった。
中村獅童演じる政五郎は、なににつけても屈託のないニュートラルな人物をつくりあげて成功している。財布を拾うのも、酒を飲むのも、仲間とけんかをするのも、すべて裏がない。人物が浅いというのではなく、これだから女房にみごと騙されて改心するのだという、よい意味での単純さが説得力を持っている。以前山田洋次版『文七元結物語』で長兵衛を演じたときよりもすっきりとした発声になっているのもよく、純粋にセリフのうまさで芝居を組みたてている。
政五郎の友人・勘太郎を演じるのは市川中車。こちらもすっきりとした気持ちのよい江戸っ子に見えるのがなにより。左官梅吉の市川猿弥、桶屋吉五郎の澤村精四郎、錺屋金太を演じる梶原善らもおなじで、彼らの芝居のテンポとアンサンブルのよさがこのつまらない演目を格段に面白いものにしている。
寺島しのぶが女房おたつを演じる。もちろん芝居はうまいのだが、男ばかりのなかに混じって女が女を演じることをもっと考えるべきだ。たとえばセリフ回しは過去のうまい役者を思わせるそれかもしれないが、女性がおなじことをすれば過剰に女らしく聞こえてしまう。うまい役者になればなるほどセリフの高低差をうまくつかうが、もともと高めな女性の声でそれをした結果、必要以上に甲高くなってしまう。結果として女房と言うよりも娘役に見えるのは本意ではないだろう。なかば女人禁制のなかに入っていくのであれば、やはり女ではだめだと言わせない説得力が欲しい。
