片岡仁左衛門が東京ではひさびさに盛綱を演じる『盛綱陣屋』が、脇までもれなく豪華な配役ということもあって圧倒的。
中村吉右衛門の盛綱が戦国の世の悲劇を生きる「もののふ」であったのにたいして、仁左衛門の盛綱は「情」に徹して演じられる。まず第一に母・微妙への親子の「情」である。「親の役目を子がつとむる」ところをあえて母親に嫌な役目を負わせなければならない。その切々なる説得のなかに、理不尽な行いを母親に頼まなければならないことへの苦渋があふれている。いわば母親への甘えとも言うべき内面を隠そうともしない。それでいて弱々しさが微塵もないところが不思議な特徴と言える。
また終盤で北条時政を送りだしたあとの場面においても、高綱の妻・篝火を呼び込む瞬間から愁嘆が前面に出る。こんなに泣きが入れば流れてしまうのがふつうだが、見事な口跡でセリフを立体的に歌いあげる仁左衛門の技術がその様式生を失わせない。「伯父さま」と小四郎に呼ばれて扇子で膝を叩くのが、なんのタメもなく食い気味なのも気持ち本位。
それに先立つ首実検も、言うまでもなく絶品。ただしその表情にうかぶ内面の変化は、ここでは最小限におさえられている。首を見た瞬間の不審、偽首をやりおったなという笑み、だが待てよと小四郎を見るさりげない切り替え、花道を見てすべてを悟る衝撃。いずれも派手なことはひとつもなく、ハラとわずかな間で表現するところがさすが。
初役で微妙を演じる中村萬寿は、こちらも厳しさより情のある演じ方で仁左衛門の盛綱にふさわしい。「吉野川」の定高においてもそうだったが、現代の観客にも共感できる家族の情をみせながら、どうじに時代物として成立させるのが萬寿のよさである。
片岡孝太郎の篝火、中村時蔵の早瀬も好演。もっともこの二役は逆のほうがぴったりとはまるかもしれないが。威厳あり手強さじゅうぶんの中村歌六の北条時政、立派に仁左衛門とわたりあう片岡愛之助の和田兵衛、あざやかな坂東巳之助の信楽太郎と中村種之助の伊吹藤太と、すべての役が高水準。
中村梅枝の小四郎、中村秀乃介の小三郎のふたりの子役も大当たり。ことに梅枝は子役の演技の表現方法の枠のなかで、最大限の芝居を見せて泣かせる。落ち入るまえのほそく絞りだす声を、しっかりとした息のつかい方でささえているのがわかる。
同種の『熊谷陣屋』などとくらべるといささか並列的でどこかダレることもある『盛綱陣屋』だが、こうもそろって名優の名演を見せられてはあっというまの二時間だった。
休憩をはさんで三津五郎家につたわるめずらしい舞踊『山帰強桔梗』を、坂東巳之助で。見立てのおおい構成にしては地味な演目。ウケをねらわずかっちりと踊る巳之助がえらい。







