師走の歌舞伎座の第二部は『盲長屋梅加賀鳶』から。 梅吉と道玄を初役で演じるのは尾上松緑。梅吉は粋かどうかはさておき、きっぱりとしたセリフが江戸前で心地よい。ただ、木戸から説得に出てきたその姿がオロオロしているように見えるのはよくない。 とう…
数々の国際的な最優秀戯曲賞を受賞した名作『ピローマン』は、2003年に初演されたのちなんどか日本でも上演されてきた。今回は小川絵梨子の演出が新国立劇場の小劇場という理想的な空間を得て、充実した舞台になっている。第一幕と第二幕第一場までで休憩を…
十月歌舞伎座の昼の部は時代者の名作『俊寛』から。亡き吉右衛門の芸を継承すべく、尾上菊之助が初役で俊寛を演じている。もちろん吉右衛門がつくりあげたギリシャ悲劇のような悲壮なドラマはそこにはない。ニンからいっても菊之助のそれではなく、むしろ共…
納涼歌舞伎第三部は新作歌舞伎『狐花』の初演。人気の本格ミステリー作家・京極夏彦が今月のために書き下ろしたもので、初日のわずか一週間前には小説版もあわせて発売された。小説のほうは京極夏彦の作品としては異例なほどすぐ読めてしまうライトなもので…
納涼歌舞伎の第一部と第二部をつづけて観た。親たちから引き継いだ演目をどう次世代が演じるか、なかなか面白い競演になっている。 第一部の『ゆうれい貸家』は山本周五郎の原作を歌舞伎化したもので、近年では十代目坂東三津五郎と中村福助の組み合わせで話…
中村鴈治郎という役者は、父・藤十郎がなくなってから年々その父親に似てきたように思う。老けから敵役までさまざまな役を演じる鴈治郎がひさびさに演じる『封印切』とあっては、観ておかなければならない。 とはいえ前半の忠兵衛はいまひとつ。花道からでて…
五代目中村時蔵が初代中村萬壽に名をあらため、『山姥』でその披露となる。近松門左衛門の『嫗山姥』は八重桐の廓話で有名だが、そこから派生したもの。のちの坂田金時になる怪童丸とその母・八重桐(山姥)とを主役に据えた常磐津舞踊である。 萬壽の山姥は…
六月の歌舞伎座は六代目中村時蔵襲名興行。萬屋一門にとってはもちろんのこと、歌舞伎界にとってきわめて重要な名前の継承である。くわえて五代目時蔵の中村萬壽襲名、六代目時蔵長男の五代目中村襲名もあわせて披露される。 昼の部のはじめは『上州土産百両…
昼の部では市川左團次一年祭追善ということで、市川男女蔵が『毛抜』の粂寺弾正を演じる。上演時間がみじかいわりに面白い見せ場もあり、歌舞伎十八番のなかでは上演されやすい演目。とくに当代團十郎が海老蔵時代からかなり頻繁に取りあげている。男女蔵は…
團菊祭夜の部は『伽羅先代萩』から。 「御殿」では、初役以来数年ぶりに演じる尾上菊之助の政岡が見ものである。とくに栄御前を送りだしてひとりになってからの充実ぶりが傑出している。「後にはひとり」で花道で見送ったのを確認して息を吐くが、いささかも…
昼の部は名作『双蝶々曲輪日記』の「引窓」から。 中村梅玉の与兵衛は、このひとらしく自然な演じ方。きわめて自然にさらさらと進行して、「とかく二階が心許ない」などもいっさい張ることなく、前半は拍子抜けするほどのあっけなさ。しかしさすがに、手水鉢…
昼の部は見ごたえのある演目がならび、それぞれ面白い舞台になっている。 最初は『寺子屋』である。尾上菊之助はある時期より女形から立役へと、そのとりあげる役の比重をおおきくシフトしてきた。遠くない将来なされるであろう八代目尾上菊五郎襲名をみすえ…
『伊勢音頭恋寝刃』の通し。いつもは「油屋」と「奥庭」だけの上演だが、まれにに通して上演されることもある今作。結論から言えば、やはり「油屋」ははまった役者を得たときに、いまだその価値を失わない名作であるという話である。 通しとなった場合に問題…
猿若祭と銘打った二月の歌舞伎座は、十八代目勘三郎の十三回忌追善興行で、最近の歌舞伎座ではめずらしいほどの王道の古典作品が昼夜にならぶ。 昼の部は『野崎村』から。人間国宝級のベテランが演じる『野崎村』もよいが、中村鶴松が初役で演じるおみつがな…
三谷幸喜作・演出の『ODESSA』を観る。三谷とってはひさびさの新作舞台ということだが、結果から言えば作品、演出すべてにおいて高水準の出来にこころからの拍手。正直なところ、近年の三谷幸喜の舞台はどこか間延びしたものもあり、役者のそれぞれのノリに…
につかわしくないほど重厚な(そしてしばしば子供の首がちょん切られる)演目がなぜかならぶことのおおい初春の歌舞伎座だが、じつにさっぱりと軽めの演目がならぶ。深夜の初詣もさほど寒いとも思えない、今年の正月らしいと言えなくもない。 『荒川十太夫』…
昨年初演されて話題となった『荒川十太夫』につづく、講談を原作とする新作歌舞伎の第二弾『俵星玄蕃』の初演。尾上松緑が中心となるこのプロジェクトは、赤穂義士外伝としてシリーズ化されていくのだろう。『荒川十太夫』も来月さっそく再演されるというこ…
新開場した歌舞伎座の十周年の記念したこの一年、その最後をかざるにふさわしい破壊力をもった演目だ。中村獅童と初音ミクによる超歌舞伎『今昔饗宴千本桜』のことである。 この作品について、いまさら画期的だというつもりはない。この超歌舞伎シリーズはこ…
前月にひきつづき『妹背山婦女庭訓』の通し上演で、今月は後半の「道行」「御殿」「奥殿」「入鹿討伐」である。国立劇場もこれで閉場となる。 「道行恋苧環」は尾上菊之助のお三輪、中村梅枝の求女、中村米吉の橘姫という顔合わせ。初役となる梅枝の求女には…
十月歌舞伎座昼の部の初日を観る。なかでも山田洋次の脚本・演出でリメイクされた『文七元結物語』がどのような舞台になるのかが見もの。その外題を見ればわかるように、これはいわゆる『文七元結』ではない。ここまでおおきく書き換えるのであれば、外題を…
初代国立劇場さよなら特別公演と銘打って、二ヶ月連続して『妹背山婦女庭訓』を上演する。今月はその前半部分の半通し。中村時蔵の定高と尾上松緑の大判事、中村梅枝の雛鳥、中村萬太郎の久我之助という、いずれも初役揃いの顔合わせが見もの。しかし「吉野…
二代目中村吉右衛門が亡くなってから、二度目となる秀山祭の季節がやってきた。吉右衛門三回忌追善と銘うたれた公演である。 『金閣寺』は中村米吉の初役となる雪姫が予想以上に素晴らしい。米吉はそのキャリアのはじめの頃は天性のかわいらしさに併せて古風…
劇団アンパサンドの『地上の骨』の二日目を観る。作・演出は安藤奎。 舞台中央にはたくさんの書類と文具が置かれた丸テーブル。その上手下手にはそれぞれおなじような長机(正確に言えば互い違いにならべられたひとり用の机なのだが)があり、閉じられたノー…
納涼歌舞伎の第二部を観る。 なんと四十七年ぶりとなる真山青果の『新門辰五郎』の上演。毎年なにかの作品がとりあげられる真山作品のなかにあって、メジャーな題材のわりに近年では上演されない。それにはやはり理由がある。まずは登場人物とものがたりが雑…
演劇ユニット・ストスパの第4回公演『エゴイズムでつくる本当の弟』を観る。作・演出は白鳥雄介。 ものがたりは白鳥自身の家族をモデルとした実話ベースとのこと、はなからそれを作者自身曝け出してみせるという前提。これが徹底している。 問題をかかえる家…
夜の部は『義経千本桜』の半通し。絶品である片岡仁左衛門の「鮓屋」と、襲名公演ですばらしい成果を見せた松緑のひさびさの「四の切」である。 「木の実」から。なんども目にした仁左衛門の権太は、これまで以上にリアルな演じ方。小金吾へのいいがかりは、…
六月大歌舞伎の昼の部は『傾城反魂香』のめずらしい澤瀉屋の型での上演。 早々に花道から又平夫婦が登場し、師匠の将監と挨拶を交わすこと。先代猿之助もやらなかった、澤瀉屋につたわる古いやり方だそうだ。これにより弟弟子の修理之助が虎退治で手柄をたて…
團菊祭夜の部。 『達陀』は尾上松緑が二度目の集慶。歌舞伎座でははじめてとなる。最近の松緑のスタイルどおり、こまかいリアルな表現を排して楷書で力強く攻めるのが好印象。もちろん先月の圧倒的な『連獅子』にはおよばないが、骨太な松緑の芸質に作品があ…
恒例の團菊祭。今年は昼夜二部制での開催で、その昼の部から。 『若き日の信長』が十二代目團十郎の十年祭追善演目として上演される。もうずいぶん昔のことのように感じるが、まだ先代の團十郎がなくなって十年しかたっていないのかとあらためて思う。それに…
コンセプチュアルなコンサートを企画する作曲家、川島素晴の自主公演を聴いた。チラシの表面を見ているだけでは、とても現代音楽のコンサートとは思われないだろう。川島自身の手による陶器を「楽器」として使用するという試みである。 舞台のうえには中央に…