舞台
『時今也桔梗旗揚』いわゆる「馬盥の光秀」。現在放送中の大河ドラマ『豊臣兄弟』において、本能寺の変が放送される頃にあわせたのかと思わせるタイミングの上演。残念なことに今回は「饗応」の場ははぶかれて「馬盥」と「愛宕山」の二幕。 亡き二代目中村吉…
新国立劇場としては二十二年ぶり、小澤征爾による「東京のオペラの森」公演からでも二十一年ぶりとなる『エレクトラ』の日本での舞台上演。歌もオーケストラも最上級にたかいハードルを要求するオペラだが、それが上演されるということは、とりもなおさず見…
中村時蔵が雪姫を演じる『金閣寺』は、東京で歌舞伎を観るものにとっては待望の舞台であった。すでに松竹座や博多座で演じてはいても、なかなか東京では目にできなかったからである。 その雪姫は上手の部屋で姿をあらわしたときから、なによりもおとなの女に…
團菊祭夜の部は『菊畑』から。この演目で襲名披露となる三代目尾上辰之助の虎蔵は、昼の部の(あまりにかわいそうなほどニンに合わない)『対面』の曽我五郎とはことなり、さすがに本来の守備範囲でそのよさが生かされている。もちろん未完成も未完成。ちょ…
今月の歌舞伎座の出し物のなかでもとくに楽しみにしていたのが、夜の部の『本朝廿四孝』の「十種香」だ。それは八重垣姫の中村時蔵、腰元濡衣の中村七之助、武田勝頼の中村萬寿がそれぞれ初役で演じること。そしてこの三人がいずれも八重垣姫を演じる女形(…
昼の部の見ものは『梅照葉錦伊達織日』いわゆる『裏表先代萩』の通し上演。いわゆる『伽羅先代萩』の重要場面に、その裏側でおこなわれている庶民のドラマを組み込んだ趣向。おなじように『伽羅先代萩』をもとにした『伊達の十役』が先代猿之助から現團十郎…
ひさびさに青山の銕仙会の能楽堂へでかけて『藤戸』を観たが、この名作にふさわしい見ごえのある名演であった。 まずはこの演目らしい重厚さにみちている。シテの馬野正基、ワキの福王和幸のゆたかで深い声がじつに切実にひびく。大ベテラン曾和正博の小鼓の…
昨年おなじSCOOLでヨン・フォセの『だれか、来る』で演出家デビューをした佐々木敦の演出二作目、別役実の『風のセールスマン』を観る。出演するのはセールスマンを演じる矢野昌幸ひとり。 SCOOLのほぼ正方形のスペースの三辺をコの字形の観客席とし、のこる…
三月歌舞伎座の夜の部は河竹黙阿弥の『三人吉三巴白波』の通し上演。黙阿弥の作品のなかでも戯曲としての完成度がたかく、かつ黙阿弥らしい因果のドラマを現代的な視点から読みこむこともできる傑作である。 序幕はいつものように「大川端の場」から。もっと…
早稲田小劇場どらま館がプロデュースする、共同制作プロジェクト「どらま館Labo」の公演。作・演出は山本健介。 ガラス張りの「GCC Common Room」の長方形のスペースの対角線をななめに横切るようにアクティングエリアがあり、幅三尺ほどのしろい観客席はそ…
歌舞伎座昼の部は『加賀見山再岩藤』いわゆる『骨寄せの岩藤』の通し上演である。近年恒例のダブルキャストだが、初日のAプロを観る。 まず発端から序幕は望月弾正を演じる中村芝翫がよい。こういうスケールのおおきい敵役を演じさせたら、いまは芝翫をおい…
岡田利規の『未練の幽霊と怪物』は、「挫波」「敦賀」の二作がコロナ禍での紆余曲折をへて五年前に劇場で上演された。今回はそれにつづく「珊瑚」「円山町」の二作の初演となる。これらは伝統的な夢幻能の形式をかりた作品であり、シリーズとしての『未練の…
歌舞伎座夜の部は『陣門・組討』から。中村勘九郎による待望の熊谷次郎であり、またその子・中村勘太郎が平敦盛を演じている。 『陣門・組打』じたいはきわめて濃密なひと幕であるが、のちの場面である『陣屋』にくらべるとかなり地味な演目であることは事実…
『お江戸みやげ』といえば、いまは亡き先代中村芝翫と五代目中村富十郎のふたりによる名演が思いだされる。今月は中村鴈治郎と当代中村芝翫のコンビによる上演。鴈治郎はおゆうを、芝翫はお辻をすでになんども演じている(このふたりの組み合わせではない)…
新橋演舞場は恒例の市川團十郎一座の公演。昼の部を観る。 『熊谷陣屋』の熊谷直実を十年ぶりに演じるのは市川團十郎。当代團十郎の特徴のひとつとして、心理が複雑にからみあう悲劇の主人公などを演じると、その内面を過剰におもてに出してしまうということ…
新春の歌舞伎座夜の部は『女暫』から。バカバカしいまでの古典的な演目で、さぞ正月らしいひと幕になるかと思いのほか、不思議なことに見物席はもりあがらない。本来きわめて祝祭的であるはずの『暫』から、どうやらその祝祭性が失われているように思われる。…
『蜘蛛絲梓弦』はエンターテインメントに振りきった舞踊劇。見た目が派手でさまざまな役の早変わりはあれども、ひとつひとつの役をしっかり味わう時間がない。澤瀉屋型の「四の切」とおなじような早変わりのギミックもキレがなく、やたらと蜘蛛の糸をつかう…
『丸橋忠弥』は河竹黙阿弥のいつもの台本を、わずかながら整理してわかりやすくしたものになっている。竹柴潤一の補綴、西森英行の演出という、この数年尾上松緑とともに講談をもとにした新作を世に出しているチームである。この『丸橋忠弥』ももとは講談で…
OrgofAの新作上演『コウノトリが飛ぶ島国で、この部屋で』を観る。作・演出は演劇家族スイートホームの髙橋正子。タイトルからしてこの国(または北海道)における子供や出産をめぐる家族関係をテーマにしているのだと想像できるが、期待させる以上…
ヌトミックの新作『彼方の島たちの話』の初日を観る。世田谷パブリックシアターの「フィーチャード・シアター」のプログラムの一環としての公演。作品としても上演としてもたいへんクオリティがたかい。 作・演出の額田大志が主宰するヌトミックは、そのテク…
新国立劇場のオペラ『ヴォツェック』の上演は、いくつかの意味がある。 まずはこのオペラが初演されて100年という節目の年にあたること。この作品が一世紀をへていながら、いまだに古びない作品であることを再認識できるからである。 もうひとつはおなじ東京…
チェーホフの書いためずらしい長編小説、しかも叙述トリックをもちいたミステリーの舞台化。といってもいまとなっては穴だらけの原作をそのままというわけではなく、脚色・演出の永井愛によってあたらしい姿にうまれかわっている。 原作の『狩場の悲劇』は、…
夜の部の目玉になるのは三谷幸喜の新作歌舞伎『歌舞伎絶対続魂』である。これで「ショー・マスト・ゴー・オン」と読ませるのは、三谷幸喜自身の代表作『ショー・マスト・ゴー・オン〜幕を下ろすな』の翻案であることによるが、なにかもうすこし気の利いた表…
顔見世興行(もはや名のみで無実だが)のはじめは『御摂勧進帳』またの名を「芋洗いの勧進帳」ともいうユーモラスなひと幕。 坂東巳之助の武蔵坊弁慶が、期待にたがわずみごとな好演。まず身体の芯がしっかりしている安定感と、それゆえにリラックスできてい…
名古屋の小劇場系劇団「優しい劇団」の東京公演。初日を観る。 アクティングエリアあるのはちいさなホワイトボードひとつのみで、あとはなにもない。ほんとうになにひとつない。会場の照明機材は演技のあいだまったく使用されず、明かりを発するのは五人の俳…
通し狂言『義経千本桜』の第三部をBキャストで。 まずは「吉野山」で忠信を演じる尾上右近が圧巻である。いわゆる日本舞踊といわれる歌舞伎舞踊には「舞踊家の踊り」と「役者の踊り」があるという。(とくに専業舞踊家におおい意見だ)踊りそのもの完成度を…
歌舞伎座の通し狂言『義経千本桜』の月後半、Bキャストによる第二部。「木の実」での仁左衛門は颯爽と登場するその出からあざやか。荷物を取り違える意図と段取りを、わざと観客にわかるように見せるのが独特。花道に走り去るおりの表情もまた。いずれも延若…
『義経千本桜』の通しは後半のBキャストを観る。まずは「鳥居前」から。期待どおり尾上右近の忠信が絶品だ。揚幕から声だけ聞こえたその段階で、目が覚めるようなよさ。そして舞台へ出てからの美しくきまるかたちに圧倒される。歌舞伎の演技というものが、い…
新国立劇場の『ラ・ボエーム』の再演は、楽譜にていねいにむきあうことがいかに重要か、そんなあたりまえのことをあらためて感じさせられる公演であった。 指揮者のパオロ・オルミの音楽がよくもわるくも古典的である。第一幕の幕開きからしていまどき珍しい…
ヨン・フォッセの『だれか、来る』が三鷹のSCOOLで上演された。演出は批評家としてさまざまなジャンルを横断的に活躍してきた佐々木敦。休憩なしの二時間半というステージである。 『だれか、来る』の戯曲としての構造と、そこでおこっていることはきわめて…