舞台
チェーホフの書いためずらしい長編小説、しかも叙述トリックをもちいたミステリーの舞台化。といってもいまとなっては穴だらけの原作をそのままというわけではなく、脚色・演出の永井愛によってあたらしい姿にうまれかわっている。 原作の『狩場の悲劇』は、…
夜の部の目玉になるのは三谷幸喜の新作歌舞伎『歌舞伎絶対続魂』である。これで「ショー・マスト・ゴー・オン」と読ませるのは、三谷幸喜自身の代表作『ショー・マスト・ゴー・オン〜幕を下ろすな』の翻案であることによるが、なにかもうすこし気の利いた表…
顔見世興行(もはや名のみで無実だが)のはじめは『御摂勧進帳』またの名を「芋洗いの勧進帳」ともいうユーモラスなひと幕。 坂東巳之助の武蔵坊弁慶が、期待にたがわずみごとな好演。まず身体の芯がしっかりしている安定感と、それゆえにリラックスできてい…
名古屋の小劇場系劇団「優しい劇団」の東京公演。初日を観る。 アクティングエリアあるのはちいさなホワイトボードひとつのみで、あとはなにもない。ほんとうになにひとつない。会場の照明機材は演技のあいだまったく使用されず、明かりを発するのは五人の俳…
通し狂言『義経千本桜』の第三部をBキャストで。 まずは「吉野山」で忠信を演じる尾上右近が圧巻である。いわゆる日本舞踊といわれる歌舞伎舞踊には「舞踊家の踊り」と「役者の踊り」があるという。(とくに専業舞踊家におおい意見だ)踊りそのもの完成度を…
歌舞伎座の通し狂言『義経千本桜』の月後半、Bキャストによる第二部。「木の実」での仁左衛門は颯爽と登場するその出からあざやか。荷物を取り違える意図と段取りを、わざと観客にわかるように見せるのが独特。花道に走り去るおりの表情もまた。いずれも延若…
『義経千本桜』の通しは後半のBキャストを観る。まずは「鳥居前」から。期待どおり尾上右近の忠信が絶品だ。揚幕から声だけ聞こえたその段階で、目が覚めるようなよさ。そして舞台へ出てからの美しくきまるかたちに圧倒される。歌舞伎の演技というものが、い…
新国立劇場の『ラ・ボエーム』の再演は、楽譜にていねいにむきあうことがいかに重要か、そんなあたりまえのことをあらためて感じさせられる公演であった。 指揮者のパオロ・オルミの音楽がよくもわるくも古典的である。第一幕の幕開きからしていまどき珍しい…
ヨン・フォッセの『だれか、来る』が三鷹のSCOOLで上演された。演出は批評家としてさまざまなジャンルを横断的に活躍してきた佐々木敦。休憩なしの二時間半というステージである。 『だれか、来る』の戯曲としての構造と、そこでおこっていることはきわめて…
閉館中の国立劇場の歌舞伎公演。名作『仮名手本忠臣蔵』のなかでも、通し上演にはふくまれない加古川本蔵をめぐる二段目と九段目が組みあわせてとりあげられる。九段目はそれでも単独または八段目の道行とあわせて上演されることがあるが、二段目となるとな…
今年の秀山祭は三大丸本歌舞伎のひとつである『菅原伝授手習鑑』の通し上演である。最近よくやられているようにダブルキャストによる交代制だが、そのAキャスト二日目の昼の部を観る。 「加茂堤」は苅屋姫を演じる尾上左近に目をひかれる。尾上松緑家の跡取…
納涼歌舞伎は今年も恒例の三部制。その第三部の『野田版・研辰の討たれ』を観る。故・十八代目中村勘三郎が演出家・野田秀樹とともにつくりあげた舞台であり、今月は中村勘九郎がはじめて父の演じた守山辰次を演じる。まわりの役も一世代めぐってあたらしい…
Noismの彩の国さいたま芸術劇場公演初日を観る。今回はビゼーの名曲『アルルの女』と、あまりに有名なラヴェルの『ボレロ』という組みあわせ。振付は金森穣。 まずは『アルルの女』がおそろしいまでの完成度をたたえた傑出した舞台。細部までそのセンスがい…
市川團十郎白猿のこのところの躍進にはいちじるしいものがあり、五月の『勧進帳』の弁慶や『白浪五人男』の日本駄右衛門、そして先月の『暫』の鎌倉権五郎などはこれまで以上に充実していたのが記憶にあたらしい。とくに市川家の家の芸である荒事にかんして…
小田尚稔の演劇『国/家』の新作初演。三日目を観る。ひさびさに小田尚稔の演劇に接したが、あいかわらずのすてきな朴訥さのなかに、またひとつあたらしいメタ演劇論的なおもしろさを感じさせる舞台であった。 タイトルが『国/家』であることは、さまざまな…
終のすみかによる、過去に上演された二作品をあわせて再演するという企画。作・演出は坂本奈央。いずれも限られた人物たちの会話が織りなす傑作である。そのセリフはときにリアルなノイズをともなうのだが、それが突如として古典的と言ってもよいリリカルな…
尾上菊五郎襲名ふた月めの夜の部は『暫』からはじまる。鎌倉権五郎を演じるのはもちろん市川團十郎白猿。なんども演じている役だが、今回はいっそうその立派さが際立つ。歌舞伎座の間口は歌舞伎を上演するには広すぎると感じることは少なくない(南座などは…
ふ 尾上菊五郎襲名も二ヶ月目。まずは『菅原伝授手習鑑』の「車引」で新・菊之助の梅王丸である。配役を見たときにおやっと思ったのは、桜丸ではなく梅王丸なのかということだった。いうまでもなく菊五郎家がそもそも桜丸をやる家であり、またまだ若年という…
遅ればせながら観る襲名披露興行夜の部、まずは『五斗三番叟』から。作品としては数年にいちど上演されるいささか地味な作品だが、劇中に取り入れられる三番叟的要素が襲名を寿ぐにふさわしい。ただ、演じ手を選ぶ作品でもある。 五斗兵衛は尾上松緑。登場し…
Dr. Holiday Laboratorの『想像の犠牲』(作・演出山本ジャスティン伊等)を観る。昨年12月にロームシアター京都で初演された舞台の、東京に場所をうつしての再演となる。初演は未見なのでそれとの比較はできないが、控えめに言って驚愕せずにはいられない傑…
加藤健一事務所による『黄昏の湖』を観る。1981年度のアカデミー賞で主演男優賞や主演女優賞などを取った映画『黄昏』のもとになる、アーネスト・トンプソンの戯曲である。 アメリカの田舎にある湖畔の別荘に、ノーマンとエセルの老夫婦が避暑に訪れる。そこ…
歌舞伎座昼の部の前半は新作『木挽町のあだ討ち』から。直木賞、山本周五郎賞を受賞した永井紗耶子による同名の小説の歌舞伎化である。突然おこった刃傷事件からはじまる、木挽町(現在の東銀座あたり)の森田座を舞台にした「楽屋もの」の人情噺。原作の語…
四月歌舞伎座夜の部は、先月の由良之助につづいて出演する片岡仁左衛門の六助、尾上右近の『鏡獅子』、尾上松緑とその一座による講談シリーズ最新作の初演など見どころ満載である。 『彦山権現誓助剱』はいつもの「毛谷村」だけではなく、その前の「杉坂墓所…
『仮名手本忠臣蔵』の通し上演の夜の部はBキャストを観る。 まずは「五段目・六段目」から。驚くばかりという言葉が軽くなってしまうほど、完成度の高い舞台。中村勘九郎の勘平はもちろんのことながら、まわりの役のほとんどがきわめて高水準。揃いも揃った…
ひさびさの『仮名手本忠臣蔵』の通し上演。ベテラン幹部と中堅若手の共演だが、不思議なことに世代による違和感がなくきわめてみごとなアンサンブルがつくりあげられている。 口上人形につづいて「大序」から。先日團十郎の短縮版の『忠臣蔵』を観たばかりだ…
夜の部のはじめは『熊谷陣屋』から。そもそもこの我が子の首を打って差し出すという凄惨な話を新年早々やる意味がわからないが、それはまた別のはなし。熊谷直実は初役(といっても十年前にいちど代役で急遽演じている)の尾上松緑。花道から出て七三で数珠…
初春の歌舞伎座は『寿曽我対面』の一幕からはじまる。これがなかなか見もの。正直にいえばいささかこの演目らしい華やかさにかけているものの、きわめて実直で充実している。 なんといってもまずは曽我五郎を演じる坂東巳之助がよい。踊りのうまい役者だけあ…
師走の歌舞伎座の第二部は『盲長屋梅加賀鳶』から。 梅吉と道玄を初役で演じるのは尾上松緑。梅吉は粋かどうかはさておき、きっぱりとしたセリフが江戸前で心地よい。ただ、木戸から説得に出てきたその姿がオロオロしているように見えるのはよくない。 とう…
納涼歌舞伎第三部は新作歌舞伎『狐花』の初演。人気の本格ミステリー作家・京極夏彦が今月のために書き下ろしたもので、初日のわずか一週間前には小説版もあわせて発売された。小説のほうは京極夏彦の作品としては異例なほどすぐ読めてしまうライトなもので…
納涼歌舞伎の第一部と第二部をつづけて観た。親たちから引き継いだ演目をどう次世代が演じるか、なかなか面白い競演になっている。 第一部の『ゆうれい貸家』は山本周五郎の原作を歌舞伎化したもので、近年では十代目坂東三津五郎と中村福助の組み合わせで話…