舞台
團菊祭夜の部。 『達陀』は尾上松緑が二度目の集慶。歌舞伎座でははじめてとなる。最近の松緑のスタイルどおり、こまかいリアルな表現を排して楷書で力強く攻めるのが好印象。もちろん先月の圧倒的な『連獅子』にはおよばないが、骨太な松緑の芸質に作品があ…
恒例の團菊祭。今年は昼夜二部制での開催で、その昼の部から。 『若き日の信長』が十二代目團十郎の十年祭追善演目として上演される。もうずいぶん昔のことのように感じるが、まだ先代の團十郎がなくなって十年しかたっていないのかとあらためて思う。それに…
第一部は宇野信夫の『花の御所始末』のひさびさの上演。一九七四年の初演で、宇野の作品としては有名な『じいさんばあさん』『曽根崎心中』『盲目物語』などよりもずっとあとの晩年のもの。当代白鸚のために書き下ろされ、その後いちどだけ再演。それが今月…
三月の歌舞伎座の第二部、初日を観る。 まずはなんといっても『仮名手本忠臣蔵』の「十段目」がめずらしく上演されるのがよい。歌舞伎座では五十年以上も上演されていない場であり、そのあいだも国立劇場などでとりあげられることが数度あったとはいえ、いず…
五世中村富十郎は文字どおり比類のない名優であった。たんにうまい役者だというのではない。声のよさ。セリフの明晰さ。折り目正しい踊りの所作の美しさ。そこに高いクオリティをたもちながら、いずれもが「富十郎らしさ」に満ちた誰にも真似のできない独特…
「三人吉三』の半通し上演。「大川端の場」のみは単独でよくとりあげられるが、やはりこの作品は通し上演でこそ黙阿弥らしいアウトローたちの魅力があじわえる。ただし今回は「伝吉内」など重要な場をいくつか欠く。 「大川端」でのセリフについては、これま…
歌舞伎座の第三部は、鶴屋南北の『霊験亀山鉾』いわゆる「亀山の仇討」の通し上演。この二十年のあいだ片岡仁左衛門の専売特許のようになっていたこの演目だが、仁左衛門が水右衛門と八郎兵衛の二役を一世一代で演じるという。その初日を観る。 近年はどのジ…
新年の歌舞伎座第三部は『十六夜清心』のひさびさの半通し上演。何年かにいちど観ているような気がするこの狂言が、初役ばかりの新鮮な座組で演じられた。結論から言えば、きわめて現代的なドラマの面白さと比類ない美しさとが共存する名演。おそらくこのの…
新春の歌舞伎座の初日を観る。まずは第二部から。 『壽恵方蘇我』は、正月ならではのあかるくめてたい蘇我物の舞踊劇。シンプルな内容ながら、豪華な面々がならぶ。 蘇我五郎・十郎の兄弟を松本幸四郎と市川猿之助のふたりが演じることは、ここでの芝居を超…
十三代目市川團十郎襲名のふた月目。昼の部の團十郎は『道成寺』の押戻のみという、いささかめずらしいかたちでの披露。同時に襲名する新之助は事前に話題が先行したが、史上最年少で『毛抜』の粂寺弾正を演じる。 『鞘当』は尾上松緑の不破伴左衛門、松本幸…
十三代目團十郎襲名ひと月目の昼の部。あわせて市川新之助の襲名披露も行われる。この日は都合により『外郎売』から観る。 『外郎売』はその新・新之助の襲名披露となる初舞台。二年半も待たされてのようやくの「初舞台」ということで、演じる方も観る方も感…
いよいよあたらしい團十郎が誕生する。十一月の歌舞伎座は十三代目市川團十郎襲名披露興行のひと月目である。コロナウィルス感染拡大の影響により延期されていた襲名が、このように無事にとりおこなわれたことをまずは祝いたい。 『矢の根』は松本幸四郎の曾…
まずもって、見ごたえのある傑出した新作歌舞伎がうまれたと言ってよい。それも再演に耐えうる骨太な魅力をもった作品がである。もちろん原作となる神田松鯉の講談がよくできているということもあるだろうが、それ以上に作り手のていねいな仕事がいたるとこ…
国立劇場は『義経千本桜』の通し上演。全体を三部にわけて、主要な忠信、知盛、権太の三役(源九郎狐をべつに数えれば四役)のすべてを尾上菊之助が演じるという企画。新型コロナウィルスが拡大しはじめた二年半前に中止になり、残念ながら無観客の映像収録…
九月大歌舞伎の第一部。 『白鷺城異聞』は、ご当地ものの「顔見世狂言」の域を出ないもの。それぞれの役者の特性が活きた配役ではあるが、薄味な展開に終始しするのが残念。個々の役者のていねいな芝居はべつにして、作品としてはとくに面白いところもないの…
昨年は吉右衛門が療養中で参加がならず「秀山祭」を名乗ることなく開催された九月歌舞伎座だが、今年は吉右衛門の一周忌として「秀山祭」が開催される。なんとも複雑で寂しい気持ちになる。今後は初代吉右衛門のみならず、二世吉右衛門をもしのぶ機会として…
七月大歌舞伎の第二部はこの時期にふさわしい夏芝居『夏祭浪花鑑』である。数か月後には團十郎の大名跡を襲名することになる市川海老蔵はすでになんどか団七を演じているが、これまでとはまたちがった印象を観るものにあたえている。 ほかの役者が演じるそれ…
『當世流小栗判官』のひさびさの上演。 上演時間の長い通し狂言を三部制の枠にあわせて刈り込む市川猿之助の試みも、これで何作品目になるだろうか。人気の高い小栗判官を短くカットすることには勇気もアイディアも必要だっただろうが、結果的にすっきりとま…
六月の歌舞伎座第三部は、はじめは片岡仁左衛門と坂東玉三郎による『与話情浮名横櫛』が予定されていたが、チケット発売の段になって仁左衛門の休演が発表され、演目そのものが『ふるあめりかに袖はぬらさじ』に変更になった。演目そのものが一部のチケット…
目が覚めるようなといういう言葉がふさわしい、あざやかで若々しい『白波五人男』が見もの。尾上右近の弁天小僧と坂東巳之助の南郷力丸をはじめとして、この作品の次世代のあらたな可能性をも感じさせる充実ぶりに満足した。 いうまでもなくこの作品は音羽屋…
歌舞伎座第三部の『ぢいさんばあさん』が「珠玉の」という言葉のふさわしい傑作である。派手ではないがよくできた戯曲で、いわゆる新歌舞伎とよばれるジャンルの作品のなかでは比較的よく上演される。しかし役者によってこうも印象がかわるものかとあらため…
歌舞伎座の第一部は、映画やドラマ、舞台などでもおおくの作品が作られてきた天一坊のものがたり。休憩をのぞいて約二時間、通し狂言としては短めではあるがなかなかちょうどよい構成で楽しめる。ここしばらく猿之助はいくつもの作品において、三部制の制約…
青年団の代表作であり、おそらく平田オリザの書いた戯曲のなかでも一、二をあらそうであろう名作『S高原から』をひさしぶりに観た。東京公演としてはまだ三日目だが、さすがのすてきな完成度。 この作品の魅力はいくつもあるが、なんといってもさまざまな時…
四月の歌舞伎座は、桜の季節にふさわしい演目がならんだ。第二部は松本幸四郎による二度目の『荒川の佐吉』と、きわめてめずらしい所作事『時鳥花有里』の二本立て。 『荒川の佐吉』はいうまでもなく真山青果の代表作のひとつ。真山青果の歌舞伎はどれをとっ…
三月歌舞伎座の第二部は『河内山』と『芝浜』の二本立て。 『河内山』を片岡仁左衛門が東京で演じるのは、平成二十四年の新橋演舞場での勘九郎襲名興行以来ということで、じつに十年ぶり。河内山の演じかたにはおおきくわけて愛嬌で見せる型と、悪の凄みをき…
国立劇場の『盛綱陣屋』の初日を観る。直接教えを受けたということではないらしいが、亡き岳父・吉右衛門の得意とした時代物の大役に尾上菊之助がいどむという、次世代の歌舞伎を考える意味では必見の舞台。期待以上に見ごたえのあるものになっていた。 菊之…
二月歌舞伎座の第一部は『元禄忠臣蔵』のなかでも屈指の名作「御浜御殿綱豊卿」である。この演目はいまでは片岡仁左衛門が傑出しているが、今月の中村梅玉の演じる綱豊卿は、仁左衛門のそれとはまったくことなるもうひとつの規範とも言うべきもので、中村梅…
歌舞伎座第二部は、片岡仁左衛門一世一代と銘打っての『渡海屋・大物浦』である。中村吉右衛門亡きあと、義太夫狂言において無二の存在となった仁左衛門のこのうえなく充実した芸が、感動的な舞台をつくりあげていた。それは、古典と現代性の融合をめざして…
二月歌舞伎座の第三部は、二十九年ぶりの上演となる『鼠小紋春着雛形』が面白い。現代的な魅力にあふれている尾上菊之助初役の鼠小僧をはじめ、見ごたえある舞台になっている。 菊之助の鼠小僧(幸蔵)は、一歩間違えば薄情に見える。百両という金をだまし取…
平田オリザ作の異色な忠臣蔵が上演された。これまでも再演を重ねたさまざまなヴァージョンのうち、『忠臣蔵・武士編』『忠臣蔵・OL編』の同時上演である。日本人の意思決定の過程の切実な問題を、忠臣蔵の世界を借りてコミカルにえがいたこのシリーズ。いま…