歌舞伎/能
新開場した歌舞伎座の十周年の記念したこの一年、その最後をかざるにふさわしい破壊力をもった演目だ。中村獅童と初音ミクによる超歌舞伎『今昔饗宴千本桜』のことである。 この作品について、いまさら画期的だというつもりはない。この超歌舞伎シリーズはこ…
前月にひきつづき『妹背山婦女庭訓』の通し上演で、今月は後半の「道行」「御殿」「奥殿」「入鹿討伐」である。国立劇場もこれで閉場となる。 「道行恋苧環」は尾上菊之助のお三輪、中村梅枝の求女、中村米吉の橘姫という顔合わせ。初役となる梅枝の求女には…
十月歌舞伎座昼の部の初日を観る。なかでも山田洋次の脚本・演出でリメイクされた『文七元結物語』がどのような舞台になるのかが見もの。その外題を見ればわかるように、これはいわゆる『文七元結』ではない。ここまでおおきく書き換えるのであれば、外題を…
初代国立劇場さよなら特別公演と銘打って、二ヶ月連続して『妹背山婦女庭訓』を上演する。今月はその前半部分の半通し。中村時蔵の定高と尾上松緑の大判事、中村梅枝の雛鳥、中村萬太郎の久我之助という、いずれも初役揃いの顔合わせが見もの。しかし「吉野…
納涼歌舞伎の第二部を観る。 なんと四十七年ぶりとなる真山青果の『新門辰五郎』の上演。毎年なにかの作品がとりあげられる真山作品のなかにあって、メジャーな題材のわりに近年では上演されない。それにはやはり理由がある。まずは登場人物とものがたりが雑…
夜の部は『義経千本桜』の半通し。絶品である片岡仁左衛門の「鮓屋」と、襲名公演ですばらしい成果を見せた松緑のひさびさの「四の切」である。 「木の実」から。なんども目にした仁左衛門の権太は、これまで以上にリアルな演じ方。小金吾へのいいがかりは、…
六月大歌舞伎の昼の部は『傾城反魂香』のめずらしい澤瀉屋の型での上演。 早々に花道から又平夫婦が登場し、師匠の将監と挨拶を交わすこと。先代猿之助もやらなかった、澤瀉屋につたわる古いやり方だそうだ。これにより弟弟子の修理之助が虎退治で手柄をたて…
團菊祭夜の部。 『達陀』は尾上松緑が二度目の集慶。歌舞伎座でははじめてとなる。最近の松緑のスタイルどおり、こまかいリアルな表現を排して楷書で力強く攻めるのが好印象。もちろん先月の圧倒的な『連獅子』にはおよばないが、骨太な松緑の芸質に作品があ…
恒例の團菊祭。今年は昼夜二部制での開催で、その昼の部から。 『若き日の信長』が十二代目團十郎の十年祭追善演目として上演される。もうずいぶん昔のことのように感じるが、まだ先代の團十郎がなくなって十年しかたっていないのかとあらためて思う。それに…
第一部は宇野信夫の『花の御所始末』のひさびさの上演。一九七四年の初演で、宇野の作品としては有名な『じいさんばあさん』『曽根崎心中』『盲目物語』などよりもずっとあとの晩年のもの。当代白鸚のために書き下ろされ、その後いちどだけ再演。それが今月…
三月の歌舞伎座の第二部、初日を観る。 まずはなんといっても『仮名手本忠臣蔵』の「十段目」がめずらしく上演されるのがよい。歌舞伎座では五十年以上も上演されていない場であり、そのあいだも国立劇場などでとりあげられることが数度あったとはいえ、いず…
五世中村富十郎は文字どおり比類のない名優であった。たんにうまい役者だというのではない。声のよさ。セリフの明晰さ。折り目正しい踊りの所作の美しさ。そこに高いクオリティをたもちながら、いずれもが「富十郎らしさ」に満ちた誰にも真似のできない独特…
「三人吉三』の半通し上演。「大川端の場」のみは単独でよくとりあげられるが、やはりこの作品は通し上演でこそ黙阿弥らしいアウトローたちの魅力があじわえる。ただし今回は「伝吉内」など重要な場をいくつか欠く。 「大川端」でのセリフについては、これま…
歌舞伎座の第三部は、鶴屋南北の『霊験亀山鉾』いわゆる「亀山の仇討」の通し上演。この二十年のあいだ片岡仁左衛門の専売特許のようになっていたこの演目だが、仁左衛門が水右衛門と八郎兵衛の二役を一世一代で演じるという。その初日を観る。 近年はどのジ…
新年の歌舞伎座第三部は『十六夜清心』のひさびさの半通し上演。何年かにいちど観ているような気がするこの狂言が、初役ばかりの新鮮な座組で演じられた。結論から言えば、きわめて現代的なドラマの面白さと比類ない美しさとが共存する名演。おそらくこのの…
新春の歌舞伎座の初日を観る。まずは第二部から。 『壽恵方蘇我』は、正月ならではのあかるくめてたい蘇我物の舞踊劇。シンプルな内容ながら、豪華な面々がならぶ。 蘇我五郎・十郎の兄弟を松本幸四郎と市川猿之助のふたりが演じることは、ここでの芝居を超…
十三代目市川團十郎襲名のふた月目。昼の部の團十郎は『道成寺』の押戻のみという、いささかめずらしいかたちでの披露。同時に襲名する新之助は事前に話題が先行したが、史上最年少で『毛抜』の粂寺弾正を演じる。 『鞘当』は尾上松緑の不破伴左衛門、松本幸…
十三代目團十郎襲名ひと月目の昼の部。あわせて市川新之助の襲名披露も行われる。この日は都合により『外郎売』から観る。 『外郎売』はその新・新之助の襲名披露となる初舞台。二年半も待たされてのようやくの「初舞台」ということで、演じる方も観る方も感…
いよいよあたらしい團十郎が誕生する。十一月の歌舞伎座は十三代目市川團十郎襲名披露興行のひと月目である。コロナウィルス感染拡大の影響により延期されていた襲名が、このように無事にとりおこなわれたことをまずは祝いたい。 『矢の根』は松本幸四郎の曾…
まずもって、見ごたえのある傑出した新作歌舞伎がうまれたと言ってよい。それも再演に耐えうる骨太な魅力をもった作品がである。もちろん原作となる神田松鯉の講談がよくできているということもあるだろうが、それ以上に作り手のていねいな仕事がいたるとこ…
国立劇場は『義経千本桜』の通し上演。全体を三部にわけて、主要な忠信、知盛、権太の三役(源九郎狐をべつに数えれば四役)のすべてを尾上菊之助が演じるという企画。新型コロナウィルスが拡大しはじめた二年半前に中止になり、残念ながら無観客の映像収録…
九月大歌舞伎の第一部。 『白鷺城異聞』は、ご当地ものの「顔見世狂言」の域を出ないもの。それぞれの役者の特性が活きた配役ではあるが、薄味な展開に終始しするのが残念。個々の役者のていねいな芝居はべつにして、作品としてはとくに面白いところもないの…
昨年は吉右衛門が療養中で参加がならず「秀山祭」を名乗ることなく開催された九月歌舞伎座だが、今年は吉右衛門の一周忌として「秀山祭」が開催される。なんとも複雑で寂しい気持ちになる。今後は初代吉右衛門のみならず、二世吉右衛門をもしのぶ機会として…
七月大歌舞伎の第二部はこの時期にふさわしい夏芝居『夏祭浪花鑑』である。数か月後には團十郎の大名跡を襲名することになる市川海老蔵はすでになんどか団七を演じているが、これまでとはまたちがった印象を観るものにあたえている。 ほかの役者が演じるそれ…
『當世流小栗判官』のひさびさの上演。 上演時間の長い通し狂言を三部制の枠にあわせて刈り込む市川猿之助の試みも、これで何作品目になるだろうか。人気の高い小栗判官を短くカットすることには勇気もアイディアも必要だっただろうが、結果的にすっきりとま…
六月の歌舞伎座第三部は、はじめは片岡仁左衛門と坂東玉三郎による『与話情浮名横櫛』が予定されていたが、チケット発売の段になって仁左衛門の休演が発表され、演目そのものが『ふるあめりかに袖はぬらさじ』に変更になった。演目そのものが一部のチケット…
目が覚めるようなといういう言葉がふさわしい、あざやかで若々しい『白波五人男』が見もの。尾上右近の弁天小僧と坂東巳之助の南郷力丸をはじめとして、この作品の次世代のあらたな可能性をも感じさせる充実ぶりに満足した。 いうまでもなくこの作品は音羽屋…
歌舞伎座第三部の『ぢいさんばあさん』が「珠玉の」という言葉のふさわしい傑作である。派手ではないがよくできた戯曲で、いわゆる新歌舞伎とよばれるジャンルの作品のなかでは比較的よく上演される。しかし役者によってこうも印象がかわるものかとあらため…
歌舞伎座の第一部は、映画やドラマ、舞台などでもおおくの作品が作られてきた天一坊のものがたり。休憩をのぞいて約二時間、通し狂言としては短めではあるがなかなかちょうどよい構成で楽しめる。ここしばらく猿之助はいくつもの作品において、三部制の制約…
四月の歌舞伎座は、桜の季節にふさわしい演目がならんだ。第二部は松本幸四郎による二度目の『荒川の佐吉』と、きわめてめずらしい所作事『時鳥花有里』の二本立て。 『荒川の佐吉』はいうまでもなく真山青果の代表作のひとつ。真山青果の歌舞伎はどれをとっ…