顔見世興行（もはや名のみで無実だが）のはじめは『御摂勧進帳』またの名を「芋洗いの勧進帳」ともいうユーモラスなひと幕。
坂東巳之助の武蔵坊弁慶が、期待にたがわずみごとな好演。まず身体の芯がしっかりしている安定感と、それゆえにリラックスできているおおらかさとのバランスが抜群である。このほどよいおおらかさこさそ、荒事を荒事たらしめているものであることは言うまでもない。そしてここぞというときのセリフが抜群にうまい。トボケた前半ももちろんだが、義経一行が無事に逃げられたと知っての「そんならもう、よい加減だなぁ」と正体をあらわしてからのスケール。ただ豪快なだけではなく、きわめて技巧的なのがよい。
斎藤次祐家を演じる片岡市蔵が傑作。あいかわらずうまいベリベリとした手強さにくわえ、老獪な奥行きがある。敵役といえば出羽運藤太の市川左升、新庄鈍藤太の市川荒五郎も好演。役にぴったりはまった声、きっぱりとしたセリフ、それでいて憎めないおかしみと、充実して脇をかためている。
つづく『道行雪故郷』は「新口村」の副題をもっているが『恋飛脚大和往来』の有名な同名の場面ではくなく、それをもとにした清元の舞踊劇。中村扇雀の忠兵衛と、中村雀右衛門の梅川。通りかかる萬才に中村錦之助。この萬才太夫がいったいどういう存在なのか、その意味がわかるように機能すれば面白くなると思われた。
『鳥獣戯画絵巻』は文字どおり鳥獣戯画の世界をもとにした舞踊作品。すべてがうまくいっているとは言いがたいが、音楽など意欲的な実験があちらこちらに。あまりにもたくさんの役者が出ているが、なかでも男蛙の中村芝翫と女蛙の中村萬寿が見もの。鳥羽僧正の役で出ている七代目菊五郎は、終幕など座って後ろ向きに絵を眺めているだけなのに、それで芝居になるというのがさすがとしか言いようがない。
『御所五郎蔵』はまず「甲屋見世先の場」が面白い。片岡愛之助の五郎蔵と尾上松緑の星影土右衛門の、七五調のセリフのリズムが心地よいからである。けっして歌いすぎず、リアルな意味にはしりすぎず、ほどよいテンポ感がふたりのあいだに共有されている。愛之助の発声がもうすこしナチュラルであれば言うことがないのだが。留男は松本幸四郎。
「甲屋奥座敷の場」は、中村時蔵の演じる傾城皐月が圧巻。まずひとりになっての「他所はときめく春なれど」の嘆きのうまさに聞き惚れる。土右衛門に「退き状書いてもらいたい」と言われて立ちあがり、打掛の裾を土右衛門におさえられたそのねじれた姿そのものが、雄弁に皐月の狼狽と苦悩をあらわす技巧。夫・五郎蔵を救いたいというハラを隠して「愛想がつきた」と土右衛門にうちあける言葉が、じつは本心そう思っているのではと一瞬観客にさえ思わせる面白さ。だからこそ土右衛門が話にのってきたときの「嬉しゅうござんす」というダブルミーニングが効く。金包みを出しながら「手切れでござんす」という声にこめた、五郎蔵に気づいてもらえない思い。そのあとの愛想づかしをおおいに堪能した。「嘘に愛想がつかさりょうかいな」というセリフがなんと切なく響くことだろう。ひとり残されて「苦労の絶えぬ」で二重舞台から足を落として「身のうえじゃなあ」ときまる幕切れまで、傑作と言って間違いないだろう。歌舞伎座のひろい舞台を完全に支配した、立女形の芝居にほかならない。
大詰では、傾城逢州を演じる中村米吉の殺され方がよい。ただかたちがよいというだけではなく、なんの咎もなくただの偶然で殺されてしまう女のはかない哀れさが見える。みずからの責任とは関係なく「なんの因果で」か殺されてしまう存在は、河竹黙阿弥の作品においてきわめて重要な要素なのだ。
