昭和五八年九月に開場した国立能楽堂開場が、三十五周年を記念して催す公演のひとつ。能楽界を代表する重鎮たちの競演や、普段は見られない特殊演出が見ものである。
『翁』は、珍しい「松竹風流」の小書での上演。金剛永謹の翁は堂々たる体躯、朗々とした声。思わず襟を正したくなる素晴らしい存在感である。翁の退場後、入れ替わって橋懸りより松の精、竹の精が登場し、橋懸りに狂言地謡がずらりと並ぶ「松竹風流」の場(国立能楽堂が開場以来、三十五年ぶりとのこと)は、祝祭感ある華やかさがあり楽しい。
『井筒』は観世清和のシテ。しっとりとした出端から「暁毎の閼伽の水」の次第まで、ほんのりとした明るさがあり、それが少しづつ愁いを増していくのは見事。明晰さ、丁寧さという宗家の良さがよく出た舞台。二度目に井戸を覗き込み「見ればなつかしや」とつぶやく見せ場は、時間を超えたファンタジーが拡がるにはいささかさらりとしすぎている。
大倉源次郎の亀井忠雄のコンビの絶妙なイキ、極力倍音を抑えシンプルに奏される杉市和の笛、福王茂十郎のワキ、梅若実ひきいる一糸乱れぬ地謡と、まわりが揃いも揃って名曲『井筒』にふさわしい一番であった。
最後は片山九郎右衛門の『乱』。うまい人だけに軽やかな足の運びが観るものを楽しませる。不気味な面の表情も印象的。こちらも小書「置壺」ということで、珍しく舞台前面に酒壺が始終置かれたまま。ただ、猩々が舞うにつれて拡がっていくはずの不思議なホロ酔い感がいささか盛り上がらずに終わるのは、この壺のせいなのでないか。シテの衣装の「赤」い色が持っている熱量を紫の壺が打ち消しているのかもしれないし、中途半端にリアルなオブジェがそこにあることで、この曲のもつ空間的な拡がりを妨げているのかもしれない。