黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

團菊祭五月大歌舞伎夜の部(歌舞伎座)

團菊祭夜の部は『伽羅先代萩』から。

「御殿」では、初役以来数年ぶりに演じる尾上菊之助の政岡が見ものである。とくに栄御前を送りだしてひとりになってからの充実ぶりが傑出している。「後にはひとり」で花道で見送ったのを確認して息を吐くが、いささかも緊張感が途切れない。「我子の死骸」が目に入った刹那のあざやかさ。本舞台へもどってのクドキは前回初役のときにはいささかものたりなかったが、今回はセリフも所作もイトにのってきっぱりとして芝居がおおきいのがよい。かたちをくっきりと楷書に演じているところへ、大時代に張った「毒と見えたら試みて」のあと、懐紙を口にあてたリアルな間が生きて「死んでくれい」で観るものを泣かせる。この古典の型をこれでもかと格調高く見せるところと、つかのま見せる心のうちとのバランスが絶妙で、完成度がきわめて高い。葵太夫の義太夫も冴えわたっている。

それにくらべて前半はいささか手さぐりに見える。「いまお館には悪人はびこり」はややさらりとしすぎか。「もし毒」も「ど」と言いかけてあわてる芝居をみせることもなく、じつに周到に声をひそめて間をとり「毒」となる。政岡の用心深さがきわだって性根としては正しいやり方だろうが、やや地味すぎるようにも感じた。「飯炊き」(菊之助が「飯炊き」を省略しないで演じるのははじめて)は、所作の美しさよりも合目的的な手際のよさを優先するのがよい。しかし「流す涙の水こぼ」すように泣きくずれる箇所を山場に持っていく意図はよいとしても、そこにいたるまでがいささかそっけなく見える。後半で見せたみごとな芝居の構築が、まだ計算の段階のようで、そこが手さぐりと言うところである。

ただこれは菊之助だけのせいではないように思われる。

尾上丑之助が千松を演じているが、時代者の子役をやらせるにはあまりに成長しすぎている。本人が役を演じようとすればするほど(そしてそれはよく考えられていてさすがなのだが)歌舞伎の子役のもっている記号性が失われていく。こうなると役の型と本人が演じようとしている内容がアンバランスになってしまう。敵役・八汐はベテラン中村歌六だが、演技を女形に寄せすぎて声も高く、「なにをざわざわ」からの芝居もあっさり。加役として立役が演じることでうまれる憎々しさ、手強さというものがやや希薄。「他人のわしさえ」の素っ気なさはわざとだろうが、政岡の動揺を引き出す攻め手になっていない。栄御前の中村雀右衛門は手強さを出そうとしているが、さすがにニンに合わなすぎて気の毒だろう。

「床下」の荒獅子男之助は市川右團次。セリフがきっぱりしていること、鼠を踏みつけた形がきまっていること、なかなかに気持ちのよい男之助。ただし最後に「合点だ」と後ろに下がるのは、三歩きっちりと下がってきめてほしいところが流れて残念。

スッポンからせりあがる仁木弾正は市川團十郎。これがまた想像以上の面白さ。本舞台に目をやってにやりとするところは最小限の動きのみ。揚げ幕へ目をやっての見得は、なんと「ツケ打ち」なしで目を見開くのみ。仁木を照らす蠟燭が紙で覆われず裸なことも不気味なリアルさを助長している。「床下」のあらたな可能性を感じさせる好演であった。もちろんそれも、立っているだけで仁木弾正にみえる團十郎だからこそできることなのだが。

 

休憩をはさんで『四千両小判梅葉』になる。この演目は菊五郎劇団の専売特許の演目のひとつとも言える世話物だが、上演頻度はそこまで高くない。はっきり言ってしまえば、芝居として面白くないからにほかならない。それでも各場面には見どころもあり、そこがどう演じられるかというところ。

富蔵を初役で演じるのは尾上松緑。祖父譲りの役でよく準備されているが、世話物らしい軽さにかけているのが残念。したたかな悪に振りすぎていて、二世松緑や菊五郎にはあった愛すべき愛嬌が足りない。まるで南北の悪と見紛うかのような芝居が、実録的な今作とずれているように感じた。相方の藤岡藤十郎は中村梅玉。なんども演じている持ち役で、誰よりもニンはぴったりというところだが、ややさらさらと枯れすぎていて、直球勝負をしてくる松緑とのアンサンブルがあっていないようだ。ふたりの人物が肚のうちをさぐりながらくりひろげる、会話劇としての面白さがあればと思わせる。

熊谷土手の場は、富蔵の女房おさよを演じる中村梅枝、父・六兵衛の坂東彌十郎、また浜田左内の河原崎権十郎らのていねいな芝居もあり、なかなか見ごたえがある。とはいえいきなりのこの場では、はじめて観る観客には不親切すぎるのだが。松緑はこの場も大時代すぎるが、妻子への情がよくみえて感動的。牢内での娘への想いを吐露するひとことへの、よい伏線になっている。

牢内・言渡の場は、めずらしい牢でのしきたりの面白さを楽しむのみ。中村歌六、市川團蔵らの重みある貫禄や不気味さは見ごたえあるが、一同そろって仄暗い牢内の空気感が希薄。形だけを残すのであれば、上演される意味もまた薄れていく。