黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

十二月大歌舞伎昼の部(歌舞伎座)

 

十三代目市川團十郎襲名のふた月目。昼の部の團十郎は『道成寺』の押戻のみという、いささかめずらしいかたちでの披露。同時に襲名する新之助は事前に話題が先行したが、史上最年少で『毛抜』の粂寺弾正を演じる。

 

『鞘当』は尾上松緑の不破伴左衛門、松本幸四郎の名古屋三山。ふたりとも切ってはめたように役にあっており、イキもぴったりで心地よい。幸四郎はセリフのリズムがよく、身体にやわらかさを保ちながらシャープな切れ味を見せるという、このひと独特のよさがきわだっている。松緑はとくに花道でのセリフが堂々としてよい。口腔をしっかりあけながらそこにうまく口蓋を被せるようにして、やや深みのある暗めな声を作りだそうとしているのがあたらしい境地。不破が名古屋三山の鞘を手で握って引き止めるかたちが、ぐっと腰がおちて力感を感じさせる。

留女にこの日は市川猿之助(偶数日は市川中車)が出る。きわめてていねいに演じて舞台を締め、さすがのひとこと。

 

『二人道成寺』は菊之助と勘九郎の競演である。近年では坂東玉三郎と尾上菊之助がなんどもくりかえしとりあげている。花子と桜子ではなく、シテがふたりとも役名を花子にするのもそれとおなじ。ただ玉三郎と菊之助の場合は、所作も方向性も菊之助が玉三郎に沿うように重なりあう。ふたりの役者が、ひとりの桜子という人物を多重的に演じる面白さがそこにはあった。それにたいし今月は、ことごとく芸風のことなるふたりの役者がぶつかりあうさまを楽しむ舞台になっている。所化の芝居があると、幕があがって勘九郎の花子が出る。やや遅れて花道のすっぽんから出た菊之助の花子と一緒になって乱拍子。「山笠」は勘九郎、「恋の手習」は菊之助と、いくつかの部分は踊りわけているが、あとはほとんどがふたりの連舞である。

勘九郎が日本舞踊的であるのにたいし、菊之助は能がかっている。勘九郎が指先まできっぱりと踊りひねりを多用して「動」を見せるかと思えば、菊之助はひねりをおさえて肚ひとつでたっぷりと「静」をいく。勘九郎の花子はリアルな若い娘を演じて見せるが、菊之助のそれはジェンダーを超越して観念的である。これだけ対照的な花子がならんでいるのを見る楽しさはなかなかのものである。

鐘入りから所化の踊りがあり、いよいよ押戻。鐘から出た鬼女ふたりが花四天を蹴散らし去ろうとすると、揚幕から團十郎演じる大館左馬五郎が出て「押戻」す。このうえないどっしりとした安定感に、隈をとったおおきな顔と目の迫力。馬鹿馬鹿しいまでの単純で豪快な役ながら、ほんとうにわずかな時間でそれまでの花子の競演の面白さをなかったことにするかのごとき圧倒的な存在感である。これを成立させてしまうのは團十郎のほかには誰もいないだろう。そういう意味で、このうえなく團十郎襲名披露にふさわしい一幕であった。

 

『毛抜』の粂寺弾正は前述のとおり新・市川新之助。腰元へのセクハラやら男色やら、そもそも髭を毛抜きで抜くという豪快な男のさまを、わずか九歳の少年が演じる。暴挙とも冒涜とも思えたこの試みだが、結果的にひじょうに面白く見ごたえがあった。

新之助の粂寺は、花道の出からして堂々かつこの役にふさわしい明るさがあって驚かされる。新之助のよさは、まずはかたちがきっぱりときまる気持ちよさがあること。有名な五つの見得は、さすがに最後の座って裏向きになる見得はむずかしいが、あとはどれもイキよくきめて立派。腰元の巻絹に突き飛ばされ目を見開き手をのばしたそのかたちなど、おとなの役者顔負けどころか、おそらくトップクラスの面白さだ。セリフも充実している。もちろん九歳の少年の声ではあるが、不動のリズムを始終たもっていること、むずかしい音の高低をうまくつかいわけていることなど、声変わり前のマテリアルにもかかわらず驚異的な完成度がある。

おさない新之助が頑張って演じているなどという段階ではなく、ふつうに歌舞伎として、演劇としてわくわくしながら楽しめた。セリフや所作の意味のすべてを新之助がきちんと理解して演じているとは思えない。しかしそれでも、言葉の字面や身体の動きだけではなく、その意味がきちんと客席にとおっているのだ。ここに歌舞伎の恐ろしいちからを感じざるを得ない。わたしたちは舞台を見ていながら舞台を見ているのではない。舞台にいる役者の芝居をとおして、その向こうにある意味作用のイデアのようなもうひとつの舞台を見ているのだ。だからこそ、それがまだ意味を理解しきっていない子供であろうが、声や身体が思いどおりにならなくなった老人であろうが、きちんと型どおりをやれば舞台が成立する。それが古典歌舞伎なのである。これは習い覚えた新之助も立派だし、教えた團十郎もまた立派。

まわりの役々のなかでは、中村芝翫の万兵衛が傑作、豪快なセリフのよさが気持ちいい。この芝翫のぐいっとつっこんだ芝居のおかげで、新之助もおおいに引き立った。秦民部は中村錦之助で、芸風に最もあっている真面目で正義感のある二枚目。巻絹は中村雀右衛門。このひとらしい端正な舞台で、わずかの出番ながらさすがの完成度。中村梅玉演じる小野春道は贅沢なやわらかさと存在感で舞台をしめる。