黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

前進座『一万石の恋』(新国立劇場中劇場)

 

前進座の創立90周年を記念しての公演。落語の『妾馬』をもとにした山田洋二の脚本による新作コメディである。もとの『妾馬』からは登場人物などの世界をかりているとはいうものの、展開はかなりオリジナルな展開となっており、これからもくりかえし上演されるべき作品としての面白さをそなえている。

もちろん、この台本に疑問がないかといえばそうでもない。

冒頭の家老と藩士たちの会話からして、気になる矛盾にみちている。家老三太夫は世継ぎがないことを先に言っているにもかかわらず、そののちにいちばん悩んでいるのは世継問題だとまた明かす奇妙。なにも気がつかない顔で話を聞いていた高木作左衛門が、じつは養子候補を探すことを三太夫から命じられていたという唐突。そうであれば、話を聞く芝居にそれなりの工夫がなければおかしいだろう。

第一幕の終わりは、意に沿わない難題を押しつけられたお鶴が、自害しようと手にしたノミを投げ捨て泣いて去っていくところで切るのが妥当。残されたものたちの困惑やトンチンカンなやりとりは後述のとおり面白いのだが、それは幕をあらため時間が経過したのちの場面として演じられるべきで、このままでは蛇足な印象をあたえかねない。第二幕の冒頭での展開を考えると、あまり効果的ではない。

演出面では、赤井御門守がお鶴を見初める場面に、歌舞伎を本業とする前進座であればもうひと工夫もふた工夫もほしいところ。ほとんどなにも演出がほどこされていないため、なんとももったいないシーンになってしまった。「一万石の恋」と銘打つからには、たとえコメディとしてもここをひとつの見せ場にしなくては舞台がしまらない。

また、國太郎二役のお兼婆のキャラクターがうすすぎて印象にのこらない。これは演じている國太郎の問題というより、台本と演出の欠点だろう。見た目も汚く口が悪いと言及されるわりには、こざっぱりと常識的な老女にしか見えない。國太郎の御門守とお兼の早変わりのために一部に吹き替えをつかっているが、これもあまり意味がなく、反対に印象のうすさに一役買ってしまっている。「あたしゃここにはいられないよ」などと言ってその場から逃げ、それさえも笑いにかえることだって容易だろうに。

大詰めに木遣りを入れたのはよいアイディアと思うが、そのあとの幕切れのあっけなさ、盛りあがらなさは論外。

この芝居のいちばんの見どころは、山崎辰三郎演じる大家をはじめとする長屋の面々だ。軽いタッチのテイストが揃い、セリフの応酬もテンポよく見事なアンサンブルで、まさに前進座の宝はここにあるという名演。

三太夫の藤川矢之輔と、益城孝次郎、藤井偉策藩士のやりとりも軽妙でよく、小姓役の平澤愛も義太夫のパロディをはじめきっぱりした芝居で気持ちよい。

いくつか首をひねらざるをえないところはあるが、ちょっとした工夫で引き締まったよい喜劇になるように思われた。このあとは名古屋公演をはじめ、全国ツアー、来年には東京での再演もあるとのこと。再演のたびに磨きあげられていくことを祈る。

 

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