歌舞伎座昼の部は『加賀見山再岩藤』いわゆる『骨寄せの岩藤』の通し上演である。近年恒例のダブルキャストだが、初日のAプロを観る。
まず発端から序幕は望月弾正を演じる中村芝翫がよい。こういうスケールのおおきい敵役を演じさせたら、いまは芝翫をおいてほかにはいないだろう。どんとハラのすわった弾正で、欠点である悪声もその粘りのあるセリフのうまさでカヴァーしている。とくに多賀家下館の門外では、又助を相手にハラをかくして丸めこむ、そのしずかな凄みとでもいうべきやり取りが秀逸。
その鳥井又助は坂東巳之助。忠義誠実なニンによくあっており、セリフのうまさもあって好演。ただし弾正からわたされた短刀で梅の方殺害におよぶくだりでは、踊りのうまい身体のはずなのにいささか重心が軽いのが気になる。つづく浅野川の堤で「定九郎」よろしく袂を絞り刀をしまうのだが、芸として見るにはサラサラしすぎ。
安田帯刀の中村又五郎、蟹江一角の坂東亀蔵ら、まわりの役の芝居もきわめて質が高い。
骨寄せで有名な二幕目になり、中村時蔵演じる二代目尾上の登場となる。初役のはずだが、初日からお手本のような完成度。セリフにこめられた旧主への想い、みずから殺した岩藤への悼みがきっぱりと。地味な着物で薄暗いなかにたったその後ろ姿のボワッとした美しさは、これこそ古典歌舞伎の美だろう。なおこの場の最後に役々そろっての「だんまり」になるが、だんまりが暗闇の表現であるという本質を見せてくれるのはこの時蔵と弾正の芝翫のふたりのみ。筋肉の緊張と弛緩のバランスがつくりだす、たんなるスローモーションとはことなる闇という空気感が秀逸。
岩藤の霊は二役で演じる坂東巳之助。そのセリフの古怪な深みが印象的で、これだけ立体的にセリフを組みたてているのだから、過剰なエコーなどなくてもよさそうだが。
この場は照明においていくつか疑問。はじめの百姓夫婦と僧の会話などは舞台全体が暗すぎて、彼らだけ不自然に前明かりを足さなければならなくなっている。そうしたければ提灯でも持たせればよいものを。見せ場である骨寄せのライトは、もっと薄くてぼんやりと見せたほうが効果的だろう。だんまりのはじまりでは上段のサイドからの明かりが勝ってしまい顔に影ができたのは、初日ゆえのたんなるミスと信じたい。
三幕目は元ネタである『鏡山旧錦絵』のパロディである草履打ちの場。時蔵の尾上は、この場も安心して見ていられるきめこまかさに拍手。じつはこの作品における二代目尾上は、忠義のために自分からなにか動くということがほとんどない。それゆえことごとく「ウケ」の芝居になるというむずかしさががあるが、時蔵はそれがきわめてうまいのである。弾正から身に覚えのない糾弾をうけてのハッと切り替わるハラ。突然あらわれた岩藤の霊に草履で打たれたときの芝居のよさ。(後者ではとくに「言い訳は、言い訳は」と詰めよられてのけぞった身体の美しさよ!)それらがアンサンブルとしての面白さをつくっている。
もちろんそれは相手があってのことだが、これまたいずれも秀逸である。中村芝翫の弾正は、たとえば『先代萩』の仁木弾正と似ていながらも、より不気味さより豪快さを強調して大芝居。写楽の役者絵にも似たその顔が映える。
巳之助の岩藤の霊もよく、「初、黙りゃ」の豪快さからはじまって、嫌味とユーモアをかねそなえたネチネチとしたよい岩藤。「言い訳なくば」で強くなりすぎず、草履打ちのあとの「なんと骨身にこたえたか」を頂点とする組みたても立体的でよい。尾上の手にもった鬼子母神像によって追い払われる岩藤の霊。暗転したあと舞台奥(襖が全面紗幕になっている)でのけぞりながら消えていくのだが、上手から歩いて中央に出るのも見せ、のたうちまわってまた上手に歩いて帰るまで見せるという、この一連の間抜けな演出はどうにかならないものか。センターでフェイドアウトすればよいだけではないか。
四幕目は又助切腹の場。芝居としての充実度は、ここがいちばん見ごたえがあってよい。『仮名手本忠臣蔵』の「六段目」に構造がよくにているが、又助は勘平ほどはやい段階から死を覚悟しているわけではない。どうしてよいかわからないその宙吊りにされた悩める男の姿を、巳之助はよく演じている。ときに現代的でリアルになり、ときに古典的で大時代ににコッテリと演じる。そのふたつがシームレスにつながって巳之助らしい又助になっている。とくに腹を切って手負いになってからは、その声の自在さもみごと。ベリベリとした力強い低音から、透きとおるような細いカンの声まで、やはり義太夫狂言はこうでなくてはならない。どれだけの役者がいまこれをできるのか。
忘れてならないのが子按摩の志賀市を演じる中村種太郎。琴の演奏も頑張っているが、なによりその芝居がよい。花道の出で村の子供たちにいじめられているさまは涙をさそうし、又助の切腹の場面ではちょうどよい距離感のなかでしっかりセリフ聞かせるのが絶妙。
大詰はおきまりの立回りとなるが、ここでも芝翫のおおきさが見もの。そしてなぜか誰よりも声がとおる(一時期より元気そうに歩いている)七代目菊五郎が出て「めでたい、めでたい」と締めて終わるのが、なによりもめでたい。
