黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

『Taking Sides』(本多劇場)

 

加藤健一事務所の主催公演。ロナルド・ハーウッドが一九九五年に発表した、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの非ナチ化裁判にまつわる戯曲。おなじハーウッドの『ドレッサー』ほど有名でも完成度が高いわけでもないが、いまの時代に上演する意義のある作品であると思わせられた。

 

ナチス政権下のドイツにとどまって演奏活動を続けた指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーは、おおくのユダヤ人音楽家の亡命に尽力したにもかかわらず、ヒトラーをはじめとするナチスとの距離の近さゆえに戦後糾弾されている。フルトヴェングラーを非公式に取り調べるアメリア軍のアーノルド少佐は、ほとんど盲信的にフルトヴェングラーをナチス協力者と決めつけ追求する。このふたりの対決がドラマの軸となる。

ふたりの対決と書いたが、実際はそのやりとりはまったく噛み合うことがない。

フルトヴェングラーにとっては、ヒトラーに協力したというつもりなど毛頭なく、彼はみずからの信奉するドイツ音楽の理念を実現すべく、ドイツにとどまり演奏しただけだと申し述べる。ドイツ芸術の象徴たる天才指揮者である自分を、ナチスが利用したにすぎないというわけである。

かたやアーノルド少佐は、難癖をつけているとしか思えないような瑣末な根拠をあげ、執拗にフルトヴェングラーを追い詰める。また、ナチスの政策に反対であれば、なぜ彼らが政権をとった一九三三年の段階で亡命しなかったのかと、フルトヴェングラーを糾弾するのである。

政治と芸術。そのふたつの立場はアーノルド少佐と指揮者フルトヴェングラーに置き換えられている。しかし『Taking Sides』というタイトルにもかかわらず、それらはなにひとつ交わることがなく、ことなるレイヤーのうえでそれらはどちらにつくか、二項対立の選択肢にすらなっていない。そのため、そもそもこの戯曲にはそういった意味でのドラマが存在していない。

 

それでも今回の公演が作品がわたしたちとっておおきな意味があるのは、歴史のなかで繰り返される理不尽な出来事の寓話として受けとめることができるからだ。

 

フルトヴェングラーを演じた小林勝也もいまや七十六歳。ところどことセリフもあやしく、テンポの悪い芝居にはハラハラさせられるのだが、右手をときおりくねらせながら朴訥と話すその武骨なさまは、神格化された巨匠でもなく、信念を貫く老芸術家でもない。かつて銀河劇場でこの役を演じた平幹二郎は圧倒的な迫力であったという。また映画版(日本未公開)ではステカンラ・スカルスガルドが強い意志に貫かれたフルトヴェングラーを演じている。小林のフルトヴェングラーは、彼らにくらべると拍子抜けするほど枯れている。というよりも、おどろくほど当事者意識がなく、他人事のように話を聞いている、どこにでもいる「いち音楽家」にすぎない。

「しかたがなかったんだ」「あのときはほかにどうしようもなかったんだ」と繰り返す小林のフルトヴェングラーを見ていると、あのときのドイツ人はほとんどがこのようであったのではないかと思われた。ヒトラーのもとで進められていることに、どれほど「わがこと」として関心を持っていたのか。みずからのやりたいことや生活をまもるために、眼に見え耳に聞こえることにたいして、あえて無関心でいたのではないか。そして戦争が終わりナチスが糾弾されるとき、だれもが「あのときはほかにどうしようもなかった」と振り返り、他人事のように語ったのではなかったか。自分の芸術のためにドイツにとどまり続けたという、説得力なくくりかえされるフルトヴェングラーの弁明のまえにみせるアーノルド少佐のいらだちは、そのままどこにでもいたドイツ国民にたいしてのそれではなかったか。みずからの罪に無自覚であったアドルフ・アイヒマンを思い出さずにはいられない。

そしてアーノルド少佐もまた、その糾弾する根拠を持っていない。終盤にいたって、アーノルド少佐の尋問がどの機関から命令されたものでもないのではないかという疑惑がもちあがる。狂気とも思えるほど執拗なその追及の理由を、最後まで観客は知ることがない。なぜ彼はとりつかれたように糾弾するのか。無関心・無責任だった国民が戦後ヒトラーひとりを断罪したように、アーノルド少佐はフルトヴェングラーひとりをつるしあげる。そのつるしあげの無根拠さが見せる不気味さは、観るものにさまざまなことを想像させる。

それだけに、アーノルド少佐を演じた加藤健一に、その不気味さを思わせる狂気がなおもう一歩あればよかったと思うのは贅沢か。

 

ウィルズ中尉を演じた西山聖了がなかなかの好演。とくに第二幕になってからのぐっとつっこんだ芝居、最後のレコードをかける無言の抵抗には引き込まれた。

 

政治か。芸術か。くりかえされるそんなテーマとはまたべつの、大きな問題を考えさせてくれる力強い公演であった。

 

 

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