黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

二月大歌舞伎夜の部(歌舞伎座)

 

二月の夜の部は『熊谷陣屋』から。

近年では毎年のように白鷗か吉右衛門のいずれかが演じているように感じるが、今月は吉右衛門の熊谷で。花道の出はあえて気持ちを出さず、数珠をしまうのもきわめて最小限の動き。それがかえって悲痛な空気を醸し出している。戦物語はこれまでになくきっぱりと動く。(足捌きなど異様に若い!)丸本物的な豪快さというよりも、身体そのものがこれでもかとリアルなドラマを語っている。「おーい、おーい、おーい」は充分に力強い聞かせ、扇を掲げた見得につなぐ。必死で虚構の(しかしある意味ではリアルな)物語を語るその切なさが胸をうつ。

藤の方と妻・相模を押しとどめての「お騒ぎあるな」が派手にならず、そのあとイキが抜けることなく制札を逆さまに突くいわゆる「制札の見栄」のクライマックスに続ける。これまでよりぐっとフレーズが長くなったことで、よりスケール感が増す。そして、驚くべきことにこの制札の見得さえも通過点に過ぎず、義経にむかって我が子の首を突きつけるその瞬間までフレーズは持続したままである。しばしば形をきめたあとにちからが抜けることもある吉右衛門だが、ここまでグイグイとどこまでも緊張感を引っ張っていくのは珍しい。

花道へ出ての有名な述懐も、いつもなら「十六年はひと昔」が頂点になるところを、「ひと昔」と声にならないつぶやきで聞かせ「夢だ、夢だ」の大音声へつなげる見事さ。

総じてこれまでになくそれぞれのセリフや型が次へ、次へと直列につながり、かたときも目の離せないドラマになっている。一時期より足腰も俊敏、声も充実。前回も至芸を観たと思ったが、まだまだこの上の境地を見せてくれるのかもしれない。

魁春演じる相模は、小次郎の首を受け取り抱えた姿が実によく、そこからのクドキはこれまでの魁春にはない美しさ。

歌六の弥陀六も吉右衛門につられてかぐっと突っ込んだ芝居がよい。ことに丸本物らしさを感じさせる抑揚がセリフを立体的にしている。この弥陀六の素晴らしいのは「一枝を切らば一指を切るべし……忝ない」と熊谷に感謝し涙を流すところを頂点にしているところで、これで舞台二重にいる熊谷と見事なアンサンブルを形作ると同時に、戯曲としての面白さが増した。

雀右衛門、又五郎といつもの安定した座組のなかで、意外なことに初役で義経を演じる菊之助。こちらは爽やかにていねいに好演しているが、いささか現代の若者めいていて超越性に欠ける。これは昼の維盛とおなじ課題だろう。また、熊谷に「これ」と見せる小次郎の首の角度がやや悪くきれいな形ではない。

 

『當年祝春駒』は観られず。

 

夜の部の最後は『名月八幡祭』で初世尾上辰之助の追善。越後から江戸へ出てきた正直者の行商人・新助が、深川芸者の美代吉に惚れてしまうことからはじまる悲劇。河竹黙阿弥の『八幡祭小望月賑』を池田大伍が改作した名作である。

数年前に初役で演じたときはどうしても観られなかったので、楽しみにしていた松緑。なんと云っても人物造形がうまくいっており、愚直で、しかしどこかしらのちの狂気の芽を感じさせる素晴らしい新助である。魚惣二階でのやりとりからその役の性根がはっきり見えているので、窓のそとを舟に乗って通りかかった美代吉を見つけたその顔だけで、悲劇を予感させる。

美代吉の内で、眠る美代吉に新助が自分の羽織をかけてやろうとして、思わず羽織を掴んだままニ歩後ずさりし決まる形の良さが印象的。云われるがまま百両の金をこしらえたのに結果的に騙されたとわかってからの、激しくはないが深い悲しみと絶望の嘆き。そこから魚惣に連れられ七三へ出ての絶叫。これまで見たどの新助にもないリアリティが涙を誘う。けっしてお世辞にも器用だとは云えない松緑が、ていねいにつくりあげたその新助に感動する。

美代吉に玉三郎、三次に仁左衛門という、初世辰之助と共演したベテランが追善に華を添える配役。さすがにバランスが悪いかと思いのほか、主役との世代差をあまり感じさせない見事なはまりっぷりである。

美代吉は新助を騙そうと思って騙すわけではない。悪意のない、というよりそもそも後先の計算などはなく、目の前の感覚で生きる女。玉三郎は深川の芸者にしてはいささかシャープさに欠けるようにも感じるが、さらりとした色気と芝居のうまさに魅せられる。

その美代吉がこれなら惚れるであろうと思わせる仁左衛門のいい男ぶり。しかも美代吉とおなじく刹那な生き方をしながらも、どこか甘えた面も見せてはまり役。

魚惣の歌六は亡き富十郎のそれを思わせるぐっと突っ込んだイキと、慈悲深い情けを感じさせ好演。

藤岡慶十郎は梅玉。およしは歌女之丞。

しかしこの名作・名演に玉に瑕なのが大詰の永代橋の場。行き交う群衆がことごとくセリフも歩き方もグダグダで閉口する。きっと彼らにとって、永代橋が落ちるなどという事件は日常茶飯事なのだろう。また、あれほど前場まで泣かせた松緑の新助もこの場は精彩を欠く。狂ったその振れ幅がせまい。そしてなにより今回は(松緑が初役だった前回もかもしれないが)、非常に効果的な本水の雨を降らせず、ミストと過剰なまでの音量で流される雷雨の音でごまかされた。本物の水がこれでもかと舞台上の新助と美代吉に降り注ぐなかでの殺し場。そして誰もいなくなった舞台奥に満月がゆっくりのぼり、舞台いっぱいに拡がった水たまりに月がその姿を映す……この作品にはそのラストがふさわしいように思う。

全場通して照明が雑。特に魚惣二階での無神経な変化。ラストの月が水に映るかわりにシーリングライトが入るが、これも素人演劇レヴェルのお粗末なもの。新しい歌舞伎座になってただでさえLED照明に変わって安っぽく見えるのだから、ていねいにつくってもらいたい。

 

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