黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

寿初春大歌舞伎昼の部(歌舞伎座)

初芝居の昼の部は、いずれも明るく華やかな演目が並ぶ。 『三番叟』に続いて『吉例寿曽我』の外題で出されるのはみなれた「対面」ではなく、工藤祐経の妻梛の葉に曽我箱王と兄の一万が対面するという珍しい一幕。 梛の葉を演じるのは九月に長期療養から復帰…

梅若会定式能『船弁慶』(梅若能楽会館)

新年最初の観能は一月五日梅若会定式能での『船弁慶』(小書「重キ前後之替」)。 シテは山中迓晶。もともと細部にいたるまで丁寧な美意識が貫徹するこのひとらしい、美しさに満ちた芸を堪能した。 前シテの静は橋懸りの出こそかたく感じられたが、「そのと…

「これは演劇ではない」~新聞家、キュイ、ヌトミック(こまばアゴラ劇場)

こまばアゴラ劇場にて「これは演劇ではない」と題したフェスティバルの二日目を観る。 一本目は新聞家『遺影』村社祐太朗・作演出。 結婚式の披露宴に出席している新婦妹とその夫それぞれが十分あまりの独白をするというシンプルな構成。二人の独白の冒頭三…

初春歌舞伎夜の部(新橋演舞場)

新橋演舞場は正月恒例の海老蔵を座頭にすえた歌舞伎公演。初日夜の部を観る。 『牡丹花十一代』は海老蔵一家はじめ一座総出で華やかなお年賀。 『俊寛』は初役で海老蔵が演じる。この場での俊寛は三十代後半という設定だが、流罪の暮らしが長かったからとは…

寿初春大歌舞伎夜の部(歌舞伎座)

一月は東京だけでも四ヶ所、ほかの都市でも興行があるために、初芝居とは名ばかりのさびしい座組になることも少なくないが、二〇一九年正月の歌舞伎座は松本白鸚と中村吉右衛門のけっして共演しない二人を軸にした座組。まずは夜の部初日を観る。 『絵本太功…

魂が救われるとき~『A GHOST STORY』を観て

二〇一八年の終わりを、すてきな映画でしめくくる幸せ。デヴィッド・ロウリー監督の『A GHOST STORY』を観た。 大事なひとを失った妻と、その妻の眼には見えない夫の霊との映画と云えばジェリー・ザッカー監督の『ゴースト』(1990年)が思い出されるが、こ…

十二月大歌舞伎夜の部(歌舞伎座)

夜の部はなんといっても坂東玉三郎から若手女形へ『阿古屋』が受け継がれるということが注目の舞台。二十五日興業のうち、十四日間は玉三郎自身が、残りは中村梅枝と中村児太郎が交代で阿古屋をつとめるという変則で、いわば公開の場での芸の継承である。 そ…

オフィスマウンテンvol.5 『能を捨てよ体で生きる』

オフィスマウンテンの新作『能を捨てよ体で生きる』を観る。 タイトルにある「能」という字は、能力というコトバがあるように、なにがしかの事態を可能にする意識的な「チカラ」やそのはたらきのことを表し、その「チカラ」をはたらかせることを「能動的」と…

十二月大歌舞伎昼の部(歌舞伎座)

師走の歌舞伎座。特に昼の部は当月唯一の幹部役者ともいえる玉三郎も不在なためいささかさびしい座組だが、若手の奮闘により充実したものになった。 『幸助餅』は云うまでもなく松竹新喜劇を代表する名作人情劇。15年前に現・鴈治郎が歌舞伎として上演、以来…

十一月顔見世歌舞伎昼の部(歌舞伎座)

夜の部に続いて昼の部。 『お江戸みやげ』は短いがうまくまとまった佳品で、 昭和では十七代目勘三郎と守田勘弥の、 平成では七代目芝翫と富十郎の名コンビによって演じられてきた。 七年前には十代目三津五郎と鴈治郎によってひさびさに上演されたが、その…