黒井緑朗のひとりがたり

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仁左衛門の『勧進帳』(歌舞伎座)

 

夜の部の『勧進帳』は日替わりでのダブルキャスト。幸四郎の弁慶についてはさきに書いたが、たいする仁左衛門の弁慶が期待にたがわずきわめて素晴らしいものであった。

※幸四郎の弁慶についてはこちらで書いたのでお読みください。

秀山祭九月大歌舞伎夜の部(歌舞伎座) - 黒井緑朗のひとりがたり

 

仁左衛門が『勧進帳』の弁慶を演じるのは11年ぶり。とかく豪快に、演劇的な勢いで魅了する弁慶が少なくないなかにあって、十二代目市川團十郎、十代目坂東三津五郎らは松羽目物としての『勧進帳』の格にふさわしい数少ない弁慶を見せてくれた。しかし残念ながら彼らが芸の熟成を前にして亡くなってしまったいま、この仁左衛門の本格な弁慶は貴重であり、目の覚めるような素晴らしいものであった。

(五代目中村富十郎が本興行ではなく一日だけの自主公演で演じた格調高い弁慶は、別格たるひとつの規範としていまでも記憶に残る。)

 

仁左衛門のそのていねいな弁慶からは、ひとつひとつの所作やセリフの意味がおどろくほどシンプルに立ち上がる。

花道の出端の長ゼリフにおいても、ぐっとおさえていながら知将のもつ説得力にあふれている。この弁慶は、義経とのあいだにちょうど人ひとりぶんの距離をとる。ほかの弁慶には見られないほどにポッカリと空いたこの空間は、たび重なる詮議を厭いはじめた義経や強行突破を図ろうとする四天王たちと、先達たる弁慶が立場を同じくしないことを明確に示している。

本舞台へ出て、たとえ偽の山伏であっても処罰したのだという番卒たちにむかい「してその切ったる山伏首は、判官どのか」と問い返す弁慶。関守たちの論理にひそむ矛盾をあばくその余裕たっぷりな声を前にしては、富樫でなくとも「あな難しや問答無益」と逃げ出さざるを得ない。

勧進帳読みあげがおわると、弁慶は振り向いて帰ろうとする。どの役者もやるこの「帰りかけ」は演劇批評家の渡辺保氏をはじめとして批判の対象になるところだ。たしかに仁左衛門も、身体の向きをかえて「帰りかけ」る。しかし仁左衛門の弁慶は、ここで富樫に呼び止められることを「知っている」ように見える。身体の向きはかえながらも、わずかに顔を舞台中央向きに残し、あきらかに富樫の反応を「待っている」ように見えるのだ。すなわち、このあとすぐに富樫から「山伏問答」をふっかけられるのも、それを誘発するためにスキを見せるのも、計算のうちなのではないか。

そこから山伏問答まで見事に緊張感が途切れることがないが、あくまで主導権を相手にわたさない支配力がある。「例わば人間なればとて」もことさら声を荒げるのではなく、たくみな「間」ひとつで富樫を脅し釘を刺す。いささか地味ではあるが安定感のある「不動の見得」のかたちのよさはさすが。

このようにこの弁慶は、富樫による義経呼び止めまでの前半は、一所懸命な切実さをもちながらも、かならずこの関を無事に通過するのだという確信と余裕をあわせもっている。それがこの弁慶を知的で格のあるものに見せているのだろう。

場面変わって後場となり、身内だけとなってはじめてこの弁慶は「情」をあらわにする。とはいえ、それまでのぐっとおさえた芝居があるおかげで、わずかな表情を見せるだけでも演劇として成立させている。空回りとも紙一重の大芝居になりがちな「ついに泣かぬ弁慶が」もじつにていねいで、これほどまでに感動的な場面になった例をほかに知らない。

幕外の飛び六法はスケールがおおきく、かつおもわず見とれてしまうかたちの美しさがある。特筆すべきは、たいていの弁慶が何歩か進んだところで舞台側へやや後退りし最後の引っ込みを見せるのにたいし、仁左衛門はいちども後退りするこがないこと。さきを行く主君・義経のあとを、ためらうことなく一目散に追いかける弁慶。そのすさまじいリアリティが見るものを圧倒する。

 

その弁慶にたいする富樫は幸四郎。その悪声にもかかわらず、きっぱりとして間のよいセリフの明晰さが第一。「山伏問答」が盛りあがったのは、この富樫のセリフがつくりだす見事なリズムがあってのことだろう。「はやまりたもうな」と弁慶の打擲をとめる場面のイキのよさ、一行を見逃して上手へ去る芝居の情けの深さ。仁左衛門の弁慶を相手にまったく見劣りのない第一級の富樫左衛門であった。孝太郎の演じる義経の素晴らしさは前稿でふれたとおり。父・仁左衛門の弁慶との相乗効果か「判官御手」の美しさはより増したように見えた。

 

 

  

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