黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

眼に見えない他者とむきあうために

 

二〇一九年の十一月にその発生が発見され、二〇二〇年三月の段階でも世界的に流行の兆しを見せている新型コロナウイルスがわたしたちの社会にもたらした影響は、おおくのひとにとって、はじめの想像をはるかにこえたものになった。

コンサートや演劇、スポーツなど、ひとが集まるイベントがことごとく中止になった。

マスクや消毒が有効だという情報はあっても、肝心のそれらが品不足で手に入らず、驚くべき高額で転売されるということも横行した。

しかしこれらの混乱した状況は、ウィルスの脅威にさらされているわたしたちの本当にあるべき姿なのだろうか。

 

たしかに、新型コロナウイルスがどのようなウィルスであるかが完全にあきらかになっていない(あとで述べるようにそもそも厳密に言えば完全にあきらかになることなどないのだが)現状において、軽々にその社会的な対処のありかたについて賛否をとなえるのは無責任のそしりを免れないだろう。

また、これからこのウィルスが人類にどのような影響をあたえるかわからないからこそ、最悪の事態を想定して考えられる対策はすべて取るべきだというのも、ある意味では当然のことだ。

だが、それでもあえてたちどまって問いなおさなければならない。いまのこの状況は、世界的な集団ヒステリー以外のなにものでもないのではないか。

 

厚生労働省によると、日本国内だけにかぎってもインフルエンザの感染者数は推定で一千万人程度あり、感染がもとで死亡すると考えられている数は約一万人である。

これにたいして、文章を書いている三月六日の時点で新型コロナウイルスは国内感染者は一〇五七人、亡くなった人数は十二人だ。

また新型コロナウイルスは、インフルエンザのように子供への集団感染がほとんどみられないという特徴もあるようだ。

もちろん、だからこの程度の犠牲者はたいしたことはないと言っているのではないし、新型コロナウイルスは脅威ではないとは思わない。

無症候キャリア(感染したが症状があらわれない宿主)があらたな感染者を増加させる可能性が高いことからも、ほかの感染症と同列にあつかうべきではないことも明白だろう。

 

それでもやはり、それにたいする反応はいささか過剰だと思わざるを得ない。

いまのわたしたちは、「眼に見えない他者」に向き合うその不安にとりつかれている。

そして、各国政府もその国民の不安を無視することができないために、あとになって「やらなかった責任」を問われないように必要以上の対策をうたなければならない状況に追い込まれ、それが社会の不安をより増幅させるという悪循環を生んでいる。

「眼に見えない」というのは、なにもミクロの世界の存在だということだけを意味しない。

どのようなウィルスか完全にわかっていない、いつこの流行が終息するかもわかっていない、人間の手でコントロールできないものだという意味で、「眼に見えない他者」なのだ。

しかしそれは、この新型コロナウイルスだけの話ではない。

インフルエンザの場合、それなりの数のひとびとが予防接種をし、治療薬もあるにもかかわらず年間に一万人が亡くなっているという事実がありながら、ある日とつぜんに全国の小中学校がその年度を終えてしまうということはない。

年間数千人が交通死亡事故の犠牲者となるが、そのことで問題が解決するまで自動車の運転を自粛せよとはだれも言わない。

わたしたちの身のまわりはコントロールできない「眼に見えない他者」であふれかえっている。

そのことを忘れ、限られた情報によって(また情報が限られているからこそでもあるのだが)この新型コロナウイルスだけをなにか特別な脅威のように思いこみすぎるのは、賢い自衛本能というより妄信になりかねない。

 

妄信は盲信につうじる。それは、平常時にもまして自分の想像力が行き届かない範囲をどこまでもひろげてしまう。

相次ぐイベントや外出自粛によって、おおくのひとびとが生活できなくなるほどの経済的な困難に追い込まれている。

おおきな資本がバックについているイベントは被害額もおおきいが、乗り切る体力もまたそれなりにあるだろう。

だが、小規模な個人経営の飲食店やスポーツジム、音楽、演劇、スポーツなどにかかわっているフリーランスのひとびとは、廃業をも視野に入れながら(そして廃業したところで別の仕事がすぐにあるわけではない)不安と戦っている。

それをどれだけのひとが想像しているだろうか。

東日本大震災のおりの公演中止や自粛によって生活の糧と未来への希望をうばわれ、自ら命を絶ったおおくの無名のアーティストがいたが、今回の無計画な自粛の嵐のなかでそれが再現されないという保証はない。

それをどれだけのひとが想像しているだろうか。

「新型コロナウイルスによる死者数 < みずから命を絶ったフリーランス」といったような事態にだけはならないようにと祈るばかりだ。

それだってやはり「最悪の事態」にはかわりないだろう。

 

いまわたしたちがもっとも避けるべきことは、過度な不安によりストレスを溜め込んでしまうことだ。

ストレスにより身体の免疫力がおおきく低下することは医学的にも証明されているとおりである。

そのむかし「市川團十郎の睨みを見ることができたら、一年間は風邪をひかない」といわれていたそうだが、贔屓の役者の圧倒的な芸を眼にしてこころが浮き立つことでストレスが解消されるとすれば、それは現代ではもはや迷信ではなく根拠ある話になった。

一日も早く、アーティストが自分の表現をとおして、ひとびとのこころをゆたかにする日常が戻ることを願ってやまない。

その日常が無数の「眼に見えない他者」にかこまれているものであるからこそ。