黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

六月大歌舞伎第三部(歌舞伎座)

 

六月大歌舞伎の第三部は『京人形』と新作の『日蓮』の二本立て。

 

『京人形』は白鸚の甚五郎が面白い。

白鸚の所作は「幸四郎風」「白鸚風」としか言いようのない独特の動きが特徴だが、その小気味のよいクイックの効いた所作が自然にユーモラスな空気をつくりあげている。近年の白鸚の最大のヒットは二〇一九年正月に初役で挑んだ『一條大蔵譚譚』だと思われるが、そのときも笑いをあてこんでねらわず、自然に動きや間ひとつで不思議なおかしみを出していた。この年齢になってなお「身体としての言語」が堪能であることに驚かざるを得ない。ただ、後半の大工道具の立ち廻りはどうということもなく平凡におわって残念。
人形の精を演じる市川染五郎は、さすがに女形としてその芸で堪能させられるほどではないのだが、男と女の変わり身の面白さは切れ味があってよい。
このひと幕であっと思わせたのは、女房おとくを演じた市川高麗蔵。「ても粋な、かかじゃなぁ」と甚五郎に言わせるだけの第一級に粋で風情ある女房。これほど高麗蔵を美しいと思ったことはなく、失礼ながらはじめは目を疑った。また「夫のために中居を演じてやっている」女房という二重の意味での芝居に自然となっているのがさすが。
それにしてもこの『京人形』、前半をごっそりカットしての上演が通例だが、いつ観ても後半に登場する姫や奴が観客に意味不明になってしまう。もっと面白くまとめるひとはいないものか。
 
 
『日蓮』の新作初演。
まずもって素晴らしいのは役者陣の演技。脇にいたるまでだれひとりこぼれることなく充実している。とくに日蓮を演じる市川猿之助、おどろ役の市川笑三郎の圧倒的な名演は特筆すべきもので、セリフのすみずみまで明晰さと熱量があってよい。はまり役を得た阿修羅の市川猿弥、セリフが格段にうまくなった中村隼人なども印象にのこる。
つぎに、基本的にひとつの大道具のみによって舞台が進行し、適宜その一部を重ねたり飛ばしたりするシンプルな演出が効果的で成功しているそのぶん商業ミュージカルめく音楽がやや過剰なのが気になるが、たった一時間の作品でありながら(良い意味で)二時間ものの大作を観たかのような充実感が味わえた。
いくつか気になったのは、台本構成上の問題。歴史上の指導者や宗教家を主役にした演劇においては、とかくその人物の「考え」や「想い」をとうとうと語る思弁的な作品になりやすい。今回の『日蓮』では、日蓮のまわりに善日丸(子供時代の日蓮自身)や阿修羅という超自然的存在を配置することによって、その問題を回避しようとしている。それはよいアイディアだし、ある程度は成功しているだろう。しかしそれでも、全体的に信念のひとり語りにならざるを得ない(それでも作品として成立しているのは猿之助の熱演のおかげにほかならない)のだ。たとえば、今回サブタイトルになっている「愛を知る鬼」とあるが、日蓮がみずからの信じる救済のためにならひとを傷つけ裏切ることになろうとも強硬に進んでいくという、その鬼にもならんという想いの根拠となる出来事はどこにもえがかれない。日蓮によってそのマニフェストが「語られる」のみなのだ。随所にそのような場面が見受けられ、やや説教臭くなったのも事実。
そんななかで唯一、演劇的に秀逸だと思われるのは、賤女おどろの苦悩を日蓮が救う場面。もちろん笑三郎の芝居のちからもあるだろう。だがこれがきわめて演劇的なのは、日蓮によって「語られる」末法の世とそこでの救いを、日蓮のものがたりではなく他者のものがたりとして相対化して「見せて」いるからなのである。
イエス・キリストもそうであったように、釈迦はおおくの喩え話によって人々を説いたという。ごく初期の仏教経典群にも、おびただしい釈迦の喩え話がおさめられている。日蓮が信奉した法華経が文学的にも優れていると評価されている理由のひとつは、法華七喩に代表される喩え話の秀逸さにある。訴えたい内容を直接的に「語る」のではなく、メタファーとしてのものがたりを「見せる」ことは、じつは演劇の演劇たる原始的な姿でもある。だからこそ、賤女おどろのものがたりは舞台に演劇的な奥深さを見せた。思い切ったことを言えば、おどろを主人公にものがたりを作ったとしたら、それこそ「日蓮」をえがく優れた作品になったかもしれない。
演劇をはじめとしたフィクションは、もともとそれに共感するひとのみならず、おおくの人々へ訴えかけるちからを持っている。それはまちがいなくメタファーのちからによるものだ。この『日蓮』がもっとおおくの人々を感動させ、再演に耐えうるものになっていくためには、その叫びを、その訴えを、もっとものがたりに置きかえてみることが必要なのかもしれない。
 
 

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