黒井緑朗のひとりがたり

きままに書きたいことを書き 云いたいことを云う

七月大歌舞伎第二部(歌舞伎座)

 

七月歌舞伎座の第二部は二演目。『鈴ヶ森』にダブルキャストで出演予定であった中村吉右衛門はまだ療養継続中ということで休演、回復をこころから祈るばかり。

 

『身替座禅』の山蔭右京を、78歳の松本白鸚が初役で演じる。白鸚は70歳をすぎてからも初役や数十年ぶりという役に挑戦することがすくなくない。その意欲そのものも素晴らしいが、どうじに見慣れた演目の新しい面に気がつかせてくれるという意味でも見逃せない。この右京役も期待にたがわぬ白鸚流のものになっている。

はじめの名乗りゼリフからして「会いたい、会いたい」や「山の神が」などもことさら狙うことなく、松羽目物の折り目正しさを感じさせるシンプルなやりかたで好感が持てる。全体にリアルな道化芝居にかたむくことなく、ちょっとした「間」ひとつでクスリとさせるのが白鸚のうまさ。花子のもとから戻った後半は色気のある流れるようなセリフを聞かせ、いつもの白鸚流のクセが鳴りをひそめていてよい。先月の『京人形』につづいてライトな演目でサラリと演じ、独自の役作りに成功している。

たいする奥方の玉ノ井は中村芝翫。がさつな奥方にしたいのかもしれないが、ウケを狙っているのかセリフが乱暴すぎて閉口する。これはこれでいままで見たことのない玉ノ井といえばそうなのだが。

千枝・小枝には中村米吉と中村莟玉。太郎冠者の中村橋之助は、セリフにおいても狂言由来らしい折り目正しさをもっている。若いからこそこのていねいさで演じられるというのはなにより。

 

『鈴ヶ森』は脇役のアンサンブルが豪華で面白い。土手の十蔵(市川團蔵)、和尚(片岡亀蔵)らをはじめ、名題下にいたるまでセリフは明晰、かつ雲助たちのあやしげな雰囲気をよく出している。東海の勘蔵(河原崎権十郎)、北海の熊六(坂東彦三郎)、飛脚の早助(中村吉之丞)らのからみも、バカバカしいほどのパロディをきっちりと演じて見せるので気持ちが良い。

菊之助の白井権八はなんども演じているような印象だが、じつはまだ三度目。こちらも折り目正しく楷書で演じる権八だが、どうじにふっくらとした柔らかさも出てきたのがよい。いろいろな役に挑戦する菊之助だが、やはりこういう役こそニンあっている。

幡随院長兵衛は中村錦之助。本来は世代を代表する権八役者のはずだが、前回浅草で見たときよりもセリフが自在かつたっぷりとしていて、技術で長兵衛のおおきさを表現している。ただこれは本人のせいではないのだが、やはり役違いという印象は否めず、菊之助の権八が立派なだけに、二人で並んだときに頼れる大親分という格はない。実録的でリアルな表現としてはじつに立派でよいのだが、この古典的な演目の短い出番では気の毒な気がする。

 

 

 

f:id:kuroirokuro:20210705150438j:plain